【コラム】えのきどいちろうのアルビレックス散歩道 第260回

2015/7/16
 「大好きなクラブ」

 七夕の日、突然、モバアルメールが届いて何事かと思ったら「早川史哉選手(筑波大学)来季新加入内定のお知らせ」だった。おお~っと声が出た。さっそく上越の知人サポ、通称おにぎりさんから「U-15の試合を西が丘で見たときに、新潟の希望となる選手だと惚れ惚れしたんですよ。それ以来のお気に入りですからね。メール見た時に震えが止まりませんでした!」「無事に新潟に帰って来てくれて良かったです。新潟アカデミーの最高傑作とも言われていた選手なんで色々と面目が立つのではないでしょうかね」と熱いメッセージが届く。

 おにぎりさんには到底かなわないが、僕もU-15時代の早川選手を国立競技場で見ている。2008年12月28日、第20回高円宮杯全日本ユース(U-15)選手権・決勝、FC東京深川×アルビレックス新潟。あのとき10番をつけてた子だと思う。FWで出てたから今回、モバアルメールが「ポジション DF」となってるのがちょっと意外だった。大学で複数ポジションへのコンバートを経験したのだ。

 08年12月はまだ当コラムがスタートしていない。新潟は鈴木淳監督の下、J1最終節・G大阪戦でぎりぎりの自力残留を決めた直後(本間勲&松下年宏のゴールで2点先制するも寺田紳一&ルーカスに同点にされ、ロスタイムに内田潤が決勝ゴールを決める。3対2)だ。裏話をすると、実は翌シーズン開幕からの連載開始が決まっていて、最終節の結果次第ではJ2編からスタートすることもあり得た。僕はスカパー中継を見ながら「来シーズンからワラジを脱ぐクラブ」の残留にホッと胸をなでおろしたのだ。

 だもんで、年の瀬の国立競技場も高円宮杯よりは圧倒的に天皇杯準決勝(横浜FM×G大阪)がお目当てだった。あのときはエイヤードの丸山英輝さんと一緒だったか、それともひとりで観戦してその後、丸山さんと打ち合わせをしたのだったか。とにかく丸山さんが「あのU-15世代が新潟の希望の星です」と、まるでおにぎりさんとそっくり同じことを言ったのを覚えている。最終節どうにか残留は果たしたけど、これから踏ん張ってあの世代がトップチームに来るのを待つことになる。アルビの「ニイガタ現象」やW杯地元開催の熱が生みだした世代だ。確かそんな話だったはず。

 背番号10番の早川選手は再三、敵ゴールを脅かした。ターンで相手をかわすプレーやヘディングシュートを覚えている。残念ながら優勝はFC東京深川にさらわれてしまったが、新潟は好チームだった。しっかりビルドアップできるんだなぁと感心したものだ。で、10番はセンスもいいけど、それ以上に「頑張れる子」だった。チームを牽引する意識を感じた。

 早川選手はその後、U-17日本代表に選出される等、将来を嘱望されるが、アルビのトップチームではなく筑波大へ進む。現・川崎監督の風間八宏さんが母校の監督を務めておられた最後の頃に間に合っている。筑波大は風間さんの退任後、低迷期に入るが、それでも名門中の名門(昔、『サッカーマガジン』でネタにしたことがあるけど、筑波大蹴球部は記録に残るかぎり、日本最古のフットボールクラブだ。創設が実に1896年! これはACミランの1899年、レアル・マドリードの1902年に勝っている)で学んだことは一生の財産になるだろう。

 「ジュニアユース、ユースと自分を育ててくれた大好きなクラブでプロサッカー選手としてプレーするチャンスを与えていただき大変嬉しく思います。今まで自分を支えてくれた家族、指導者、チームメイトをはじめとする全ての方々に感謝しています。これから感謝の気持ちとひたむきさを忘れず日々精進していきます」(アルビレックス新潟公式HPに掲載された早川選手のメッセージより)

 まぁ、「新潟アカデミーの最高傑作」もケガで試合に出られてないからせっかちな期待は禁物だ。あせらず、まずはコンディションを整えてほしい。だけど、胸が熱くなるなぁ。早川選手が来季、トップチームに加わる。これはさ、読者も関係してることだよ。新潟サッカーの達成のひとつだ。10年以上、J1を張って来た積み重ねはダテじゃない。皆でよいしょよいしょと担いできたものはちゃんと「次の世代」をつくったんだ。

 そういえば今週は酒井高徳(新潟ユース出身)のハンブルガーSV移籍がニュースになった。僕はドイツW杯のとき、ハンブルク郊外のフォルクスパルクシュタデイオン(HSVの本拠地としての呼称は現在は「イムテックアレーナ」、当時は「AOLアレーナ」)に行ったことがある。素晴らしい環境だ。今回はブルーノ・ラッバディア監督(シュトゥットガルト時代の最初の監督さん)直々に獲得に動いたらしい。再び高徳はチャンスをつかもうとしている。

 田中亜土夢(もくはちクラブ出身)は7月6日、ヘルシンキダービー(HIFKヘルシンキ戦)で今季7点めのゴールを記録した。こうして見ると新潟のサッカー熱は人材を輩出してきたのがわかる。もちろんその系譜に現在のロースターから大野和成、平松宗、川口尚紀、酒井高聖が加わる。このひとりひとりが新潟サッカーの達成じゃないか。

 ようこそ、そしてお帰りなさい、早川史哉君! 僕らはセカンドステージ開幕を前に本当に勇気づけられた。目先のことに一喜一憂していると、どこへ向かっているのかわからなくなるんだ。ありがとう。たぶん皆、同じ気持ちだよ。自信を持ってこの道を歩いていく。


附記1、さぁ、セカンドステージです。悔いのない戦いをしましょう。J1残留のハードルは決して低くはないけど、頑張ればクリアできます。

2、なでしこジャパンの「女子W杯、2大会連続ファイナリスト」は大変な快挙でしたね。惜しくも準優勝に終わったけれど、僕には(敗れた)決勝戦がいちばん戦って見えた。上尾野辺めぐみ選手、北原佳奈選手、おつかれ様でした。なでしこリーグも盛り上げていきましょう。

3、新国立競技場はあれほどずさんな計画のまま、見切り発車されるんでしょうか。「総工費2520億円」って数字自体がドンブリ過ぎます。それに肝心のスポーツ界が置き去りにされてますよね。7日の有識者会議では、(ラグビーW杯に間に合わせるため)一部観客席を仮設化することで工期を短縮すると発表し、日本サッカー協会・小倉純二名誉会長の激怒を買う一幕がありました。小倉さんは「このままでは(サッカーの)W杯を招致できない」として、当初の計画通り一部観客席を可動式に戻す確約を求めた。「そうでなければ、この案に反対せざるを得ない」。そうしたら河野一郎JSC理事長が大あわてで「少なくとも2020年が終わった後、常設化に向けて検討する」とまたブレブレですよ。



えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。 新潟日報で隔週火曜日に連載されている「新潟レッツゴー!」も好評を博している。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。

アルビレックス新潟からのお知らせコラム「えのきどいちろうのアルビレックス散歩道」は、アルビレックス新潟公式サイト『モバイルアルビレックス』で、先行展開をさせていただいております。更新は公式携帯サイトで毎週木曜日に掲載した内容を、翌週木曜日に公式PCサイトで掲載するスケジュールとなります。えのきどさんがサポーターと同じ目線で見て、感じた等身大のコラムは、試合の感動がさめる前に、ぜひ公式携帯サイトでご覧ください!

photo


ユニフォームパートナー