【コラム】えのきどいちろうのアルビレックス散歩道 第279回

2015/11/26
 「新潟の早慶戦」

 今シーズンは特別指定選手としてチームに現役慶大生・端山豪君が加わり、J1残留をかけた大一番・松本山雅戦で殊勲のゴールを決めたシーンが最大のハイライトじゃないだろうか。あの試合に勝ったことがすべてだった。あれを落としていたら奈落の底に沈むところだ。端山君はJ初ゴールを決めた後、まっすぐ柳下正明監督の胸に飛び込んでいった。そのさわやかな姿は観客の目にまぶしく映る。

 皆、忘れかけていた言葉を思い出した。「慶応ボーイ」。そうつぶやいてさわやかさ、まぶしさの正体を言い当てたような気になった。皮肉なことに端山君の大活躍でそのゲームを失うことになった松本山雅・反町康治監督も慶応出身だ。僕はゴール裏が「陸の王者」を歌って敵将を挑発にかからないだろうなと思ったが、考えたら新潟サポはそんな人の悪いチャントはあんまりやらない。

 しかし、すごいことじゃないだろうか。正式入団する前の年、既にクラブ史に残る大殊勲をものにしているのだ。「2012年シーズンだったらアラン・ミネイロ級」と書きそうになって、これじゃ誉めてるんだか何だかわからないなと思い直す。僕らは今シーズンを振り返るとき、ケガ人が多くて特別指定選手やユース選手に頼らざるを得なかった苦しいチーム事情に思いを致す。

 ところで端山君は特別指定選手として2年前、既にJリーグデビューを果たしていたことをご存知だろうか。ユース時代まで所属していた東京ヴェルディの一員として、トップチームの試合に出場している。考えられますか? つまり、大学時代に自分とこのサッカー部以外に、2つのプロチームのユニホームに袖を通している。これは慶応のイエローなのか、はたまた緑なのかオレンジなのか、お母さんも何色を洗濯して持たしたらいいか悩まれたんじゃないだろうか。いや、さすがにお母さんは洗濯しないのか。

 で、今、わざと「自分とこのサッカー部」と書いたんだが、これは誤りなんだな。読者は慶応大学のサッカー部がサッカー部ではないことを承知しておられるか。僕も最初、インカレの資料かなんかで見たとき、つい、ウソだろとつぶやいたものだ。読者よ、森健兒、大仁邦彌、犬飼基昭、藤口光紀、反町康治、野々村芳和…と人材を輩出し、今また武藤嘉紀(マインツ)、端山豪を生んだ大学クラブは、何と正式名称「慶応義塾体育会ソッカー部」なのだ(!)。

 SOCCER。確かに「サッカー」より「ソッカー」のほうがすんなりした読みだ。しかし、語感が「そっかぁ」。何かこう、幼なじみが2人、同窓会で打ち明け話をしてる感じだ。

 「あのとき、本当は俺もメグのこと好きだったんだよ…」
 「へぇ、そっかぁ…」
 「でも、お前の気持ち知ってたから言い出せなかった」
 「えー、そっかぁ、何だ言ってくれればよかったんだよ」

 かなり言葉の響きが変わる。「サッカー人生」と「ソッカー人生」。おお、そっかそっかぁとうなずいてばかりいる一生のようだ。あと多少、ショッカー人生にも似ている。あれかな、黒タイツ着て「イイッ!」って叫ぶ人生か。

 「慶応義塾体育会ソッカー部」と語感の上で匹敵するのは「早稲田大学ア式蹴球部」ではないか。この2つは看板を見ても一瞬、サッカー部だと理解しづらいものがある。「ア式蹴球」とは「アソシエーション式フットボール」の意味で、ASSOCIATIONの「SOC」から生まれた俗語がSOCCERということになる。19世紀のイングランドで「アソシエーション式(協会式)」と袂を分かったもうひとつのフットボールがラグビーとして定着したのはご案内の通りだ。

 「ソッカー」が「そっかぁ」だとしたら「ア式蹴球」は語感の上で「悪しき蹴球」を連想させる。「悪しき蹴球」は最終節までに修正点を洗い出し、良き蹴球にしていかねばならんね。

 ところで読者は「新潟の早慶戦」という言い方を知っておられるだろうか。これは新潟日報社の資料を読み込んでいて偶然発見したのだが、戦前はかなりポピュラーな呼称だった。新潟中学(現・新潟高校)vs新潟商業学校(現・新潟商)の対抗戦のことだ。昭和初期はアマチュア野球の全盛期であり、全国に「○○の早慶戦」と呼ばれるダービーマッチが存在したらしい。

 『ベースボール・シティ横浜』展(横浜都市発展記念館)を見に行ってやはり偶然、展示コーナーに出くわした「ハマの早慶戦」は横浜高等工業学校(現・横浜国大理工学部)と横浜高等商業(現・同大経済学部)の対抗戦であった。ウィキペディアで調べると出典が確認されているものだけで、他にも「杜の都の早慶戦/仙台一vs仙台二」「福島の早慶戦/福島vs福島商」「静岡の早慶戦/静岡vs静岡商」「伊勢の早慶戦/伊勢vs宇治山田」「扇港(神戸)の早慶戦/神戸vs兵庫」「山陰の早慶戦/鳥取西vs米子東」「広島の早慶戦/広島商vs広陵」「鹿児島の早慶戦/甲南vs鶴丸」「満州の早慶戦/満州倶楽部vs大連実業」…、が挙げられる。戦前はあっちこっちで早慶戦なのだ。

 興味深いのはいずれも早でもなければ慶でもないところだ。もはや具体的な早慶を離れて「ダービー」「クラシコ」の意味になっている。ニュアンス的に多少似ているのはかつて日本全国につくられた「○○銀座」だろう。これも幕府の銀の鋳造所(または鋳造所のあった土地)という本来を離れて、「にぎやかな商店街ですよ」くらいの意味で使われた。

 まぁ、「○○の早慶戦」も「○○銀座」もバリュー感、ステイタス感の表現なんだと思う。昭和の昔、ローカルのなかでバリューやステイタスを言うとき、「早慶戦」や「銀座」といった中央のキラキラしたものを借りてきたのだろう。今後の研究課題としたいのは「新潟 銀座」で検索して真っ先にヒットする作業服の「株式会社 銀座」だろうか。何故、その名前で登記して鳶服や安全靴を売っているのだろう。ネーミング的にはどう見ても高級クラブやバー経営っぽいのだ。


附記1、先週末はパリの同時多発テロに衝撃を受けました。金曜日の夜、レストランやコンサート会場、サッカー場といった市民が最もリラックスする場所が襲われた。スタッド・ドゥ・フランスではフランスvsドイツの親善試合が行われていました。犠牲者の死を悼むとともに、サッカーファンの一人として断固、テロを非難します。

2、土曜日のJ2第41節は自宅で(机に向かって仕事をしているという建前で)CRT栃木放送の「栃木vs京都」実況中継を聴いていました。僕は日光アイスバックスの縁もあって栃木SC関係の知り合いがめっちゃ多いんですよ。この日の敗戦でJ2残留が絶望的になってしまった。本間勲が精神的支柱の役割を果たしてたんだけどなぁ。

3、それを思うと無事、J1残留を果たした新潟は幸せですよ。最終節・柏戦に勝って「ヤンツーアルビ」の有終の美を飾りましょう。僕もアイスバックス・土田英二TDに許可をもらって(本当は日光開催のサハリン戦)、日立台へ行けることになりました。


えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。 新潟日報で隔週火曜日に連載されている「新潟レッツゴー!」も好評を博している。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。

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