【コラム】えのきどいちろうのアルビレックス散歩道 第292回

2016/5/26
 「可変潟」

 J1第12節(第1ステージ)、浦和×新潟。
 鬼門・埼玉スタジアムである。対浦和戦の成績自体がトータル5勝25敗4分(J1通算1勝19敗4分、J2通算2勝2敗、ナビスコ杯2勝4敗)と散々なのだが、こと埼スタに限れば0勝13敗(J1通算10敗、ナビスコ杯3敗)と完全に勝ちから見放されている。今季2勝6敗4分で15位に沈むチームにとっては巨大な壁だ。

 しかも浦和は絶好調だ。リーグ戦8試合負けなし(4連勝中)の首位。これで油断でもしてくれたらつけ入るスキがありそうなもんだが、今節は「三菱自工の日産傘下入り」がニュースになったタイミングだ。否応なくメディアの注目が集まる。チームもサポーターも誇りをかけてひとつになるだろう。

 だから「やっと光が見えてきたところで埼スタ浦和戦かぁ」という声がもっぱらだった。ガンバ戦で手応えをつかんだのにここでボコられたりしたら元も子もない。皆、どうにかチームを軌道に乗せたい一心だったと思う。気がつくと新潟応援席は4千人だ。上のほうまでぎっしり人が詰まっていた。「0勝13敗の鬼門」だからこそ後押しする。ていうか、もう鬼門なんて言ってる余裕がない。相手が浦和だろうとどこだろうと勝ちたい。

 スタメンが発表になって、ガンバ戦と同じ「4-4-2」だと思った。先週書いた通り、僕は「4-4-2」が現在のベスト布陣という見立てだ。今後の戦いのベースになるだろうとイメージしていた。だから試合が始まって腰を抜かすほど驚くことになる。最初はあれ、小泉慶どこにいるんだと思った。あれ、サイドバックのポジションか? 

 埼スタの記者席で、隣りに座っていた元サカマガ編集長・平澤大輔さんが言った。「トランスフォームだ!」 トランスフォームは日本語に訳せば「変容」。広島や浦和のサッカーを説明するとき、よく「可変型」という言い方をする。何と新潟はその向こうを張って「可変潟」状態だ。基本は「4-4-2」だが、守るときは右SB舞行龍の横に小泉慶が入って「5-4-1」になる。

 感動した。吉田達磨監督すげぇぞ。「可変潟」なんだよ、この人のイメージするサッカーって。(例えば日韓W杯のトルシエ監督みたいな)「指揮官の型にはめ、規律を重んじ実行させる」みたいなサッカー観じゃないんだ。スカウティングに基づいた、対敵戦術のオプションを用意してやって、試合のなかで自分らに判断させる。

 SBもボランチもやってた小泉、SBを務めるがCBでもある舞行龍。その意味が俄然、際立つ。5バックになったり4バックになったりするなかで、その経験がものを言う。固唾をのんだ。このチャレンジ成功してほしい。浦和を完封してほしい。

 「最初は普通の4-4-2でやろうとしていたんですけど、ちょっと難しかったので、前半で(小泉)慶としゃべって下げさせるという。(平松)宗も槙野を見ながら下がるという形だったんですけど、もうちょっと4-4-2でプレスをかけていけたらよかった。早い段階で5バックにしちゃって、前半ちょっと苦しかったんですけど、自分らの時間帯もあったと思うし、チャンスもあった」(舞行龍コメント)
 「監督は考えがあって俺をサイドに使ったはず。人にやらせないということ。宇賀神、関根、梅崎にやられたらすべて俺のせい。(クロスに足を出してコーナーにする粘りが何度も見られたことについて)本当はコーナーを取られても俺の負けだと思う」(小泉慶コメント)
 「ピッチのなかで、舞行龍の横に小泉がいつ戻っていつ出ていくのかということを、選手自身がジャッジしていた」(吉田達磨監督コメント)

 僕はクラブが達磨さんに託したミッションの大きさを思う。「J1定着」の次のフェーズへ。それは「脱カウンター(脱・弱者の戦法)」みたいな単純な図式じゃないんだ。スカウティングを重視して、映像を駆使したミーティングを重ねる。練習では対敵戦術のオプションを準備する。で、問題はその先だ。自分らで判断させる。歴代の日本代表監督なら「選手を型にはめ、規律を重んじ実行させる」トルシエさんではなく、「自分で考えさせ、リスクチャレンジさせる」オシムさんの側。

 で、これが見事に完封してしまった。局面のバトルは本当に見応えがあった。守備にバランスを置いたから「安全策を取った」みたいに考えるのは間違っている。どれだけ1対1で戦っていたか録画で確認してほしい。達磨さんが「これだけ選手の足がつったのは初めて」と言ったのも無理はない。崩されたのは一度きりだ。前半19分のPK献上に至るシーン。これは完全にやられた。

 そのPKを守田達弥が止めてなかったら試合が壊れた可能性がある。浦和がアゲアゲになり、新潟は自信喪失してワンサイドゲームになっていたかもしれない。守田は大ピンチで落ち着いていた。読みが的中する。この試合のNO.1ヒーローだ。彼の復調はチームを大いに勇気づける。

 逆に言うと(前節も書いた気がするが)、あそこまでやったら勝ちたかった。数は多くないが得点機もあった。この日は山崎亮平がキレキレだったのだ。いやぁ、よくおさめてくれたし、持ち込んでくれたし、奪い返してくれた。1トップとして立派にやれることを示した。新潟が惜しかったのは最後だな。ラファとか鈴木武蔵とか「槍」がほしかった。浦和がバテてきたところを「槍」で仕留めたかった。

 ガンバ戦に続いて2試合連続のスコアレスドロー。これは当然「2試合連続無得点」でもあり「2試合連続無失点」でもある。考え方次第で「点を取れば勝てた」も「点を取られたら負けていた」も成立する。果たして読者はどちらに目を向けられるだろう。

 いずれにしても鬼門・埼スタでチームが過去最高に勝利に近づいたのは確かだ。その証拠にどの顔も悔しそうだった。誰も「いい試合」なんかに満足していない。


附記1、試合後、評論家の後藤健生さんがわざわざ駆け寄ってきて「いやぁ、よくやってたねぇ。感心したよ。会見後の雑談でミシャ(浦和、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)も絶賛してましたよ。ヨシダはいい仕事をする、去年も柏を率いて面白い勝負を仕掛けてきたって」と声をかけてくれました。

2、帰りは『サッカーマルチ大事典』の著者、国吉好弘さんと話しながら浦和美園駅だったんですけど、国吉さんがしきりに「個人的には小塚が見たい」と言っておられました。個人的には僕も見たいです。まぁ、必ずいつか出てきますね。

3、『GOING!Sports&News』(日テレ系)で小泉慶選手のご実家、東京都足立区・春の湯が取り上げられてましたね。放映翌日さっそく入りに行きました。うちから東武線で一本なんですよ。おじいちゃんおばあちゃんに慶選手の昔話を聞きました。

4、たった今、ナビスコ柏戦から帰ってきました。やっほう、勝ちました。この試合は達磨さんが新潟の監督として初めて日立台に乗り込んだ機会です。大幅なメンバー変更はあったけど、誰が出てもみっともない試合はできなかった。戦ってましたね。優汰の先制弾、コヅの決勝ゴールも素晴らしかったけど、とにかくゴローが頑張ってた。竜馬もよかった。小林CBありがとう。巧は必死にやった。あぁ~、附記4だけじゃ書ききれません。


えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。 新潟日報で隔週火曜日に連載されている「新潟レッツゴー!」も好評を博している。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。

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