【コラム】えのきどいちろうのアルビレックス散歩道 第356回

2017/11/23
 「牛木素吉郎氏を訪ねて2」

 御年85歳、新潟サッカーの嚆矢でもあり、日本サッカー発展の礎を築いたジャーナリストでもある牛木素吉郎氏の目にアルビレックス新潟はどう映っているのだろう。話は「アルビレオ新潟FC」時代の1995~97年、監督を務められた故フランス・ファン・バルコム氏から始まった。

 「まだ名称がアルビレックスってなる前、読売サッカクラブでやってたバルコムを新潟へ連れて行って、そして指導させたの。それが元だよ。当時、新潟は練習環境もなくて、ほとんど土のグラウンドで砂ぼこりがもうもうだった。新潟は砂丘の街ですから。バルコムは信濃川の河川敷に草の生えた場所を見つけて、ここでやろうと言った。それは無理ですよね。でも、そういうところから始まって、バルコムがやってくれたのが非常に大きいと思う」

 「JFLに上がったときにお祝いのパーティーに川淵三郎が来て『これからJ2、J1に上がるのは大変だ』ってスピーチしたんですよ。僕はその次にスピーチして『川淵は大変だって言うけど、来年上がるよ』ってやったの。川淵はわかってないんです。サッカーはそんなに差はないんです。J2、J1って実際に上がっていってアルビは成功した。そして上がっていったがために新潟はサッカーが盛んになった。お客さんがたくさん入ったことが非常に勢いをつけたわけですよ。お客さんが入ったことの理由は色々あるだろうけど、そのなかで僕は非常に大きいと思うのは新しいスタジアム。サッカー見に行くんじゃなくてスタジアムを見に行った。それが成功して、お父さんが子どもを連れていって、また子どもたちが『サッカー行きたい行きたい』ってプラスの循環になった」

 そのプラスの循環が今、頭打ちになっている。巨大なワールドカップスタジアムは日本じゅうで空席が目立ち、小ぶりの専用スタジアムにサッカー界のトレンドは移っている。それとシンクロするようにアルビの戦績も下降線をたどり、クラブの強化方針も迷走しているように思える。

 「そりゃ地道に地元のファンを増やすしかないです。4万、5万のスタジアムをいっぱいにするっていうのは世界じゅうどこへ行っても難しいことです。僕の考えでは2万人ぐらいを常時集めるように努力しなくちゃいけないけど、2万人ぐらいでいい。で、2万人集めるのはそんなに難しいことじゃないですよ」

 では、最重要点。牛木さんは「新潟らしさ」についてどうお考えだろう。アルビは「新潟らしさ」をめぐって結論の出ない堂々めぐりを続けている。それは集客やクラブアイデンティティーの核として機能し得るものだろうか?

 「サッカーにおける新潟らしさなんてないですよ。サッカーに富山らしさとか新潟らしさとか山形らしさとか、そんなもんはないですよ。サッカーはサッカー、同じです。だからたまたま監督によって、その監督がするサッカーっていうのはあるけど。新潟は雪国だから雪国らしいサッカーって、それはない。北海道らしいサッカーって言ったら、厳寒だからサッカーできないのが北海道らしいってなっちゃう」

 「雪国らしい粘り強い守りって、それはたまたまその地方がサッカーが盛んじゃなくてヘボだったんです。高校サッカーでも今は東北のチームが上手かったりするでしょ。たまたまその時期にその地方がヘボだった。サッカーが盛んになって、いい指導をすれば変わるものです」

 「別に新潟だから最下位にいるわけじゃないんですよ。チームが弱いからいるわけですよ。で、いずれにしろどっかのチームが最下位になるわけですよ。最下位になること自体は怖くない。落ちたらまた上がればいいんです。だけど、チームが落ちる原因をわかってないと上がれないですね。新潟がどうだというわけじゃないですけど、多くの場合、原因はフロントですよ。フロントのやることが間違ってて成績悪いわけですよ」

 牛木さんはキャリアを通じて、「サッカー後進国・日本」や「サッカー後進県・新潟」といった固定観念に縛られることなく、常にその先にある可能性を見つめて来られた方だ。お話をうかがって、僕も物事を固定的に見るのはよそうと自戒した。牛木さんは次代のカギを握るものは育成(や育成と呼ぶ前の段階の、子どもたちが楽しくサッカーをする環境)にあるとお考えのようだった。

 「芝のグラウンドがもっと欲しいよね。十日町のクロアチアピッチのような集中的な施設じゃなく、僕が言ってるのは一つの街に一つの芝のグラウンドってことです。そんなにたくさんはいらない。一つの街に一つの芝のグラウンド。そうすれば、もっとサッカーする子が増えてもっといい選手が出てきますよ」

 かつて「ワールドカップをやることによってサッカー盛んにすることだってできる」と発想されたことの次の段階だ。そうやって上からのインパクトで盛んにするのでなく、環境をつくって、下からサッカーを盛り立てていく。一つの街に一つの芝のグラウンド。まるで夢物語のようだが、日本で(そして新潟で)ワールドカップを開催するのはもっと破天荒な夢物語だった。牛木さんはアルビの「強化策」を授けてくれた。僕らはきっと10年先、20年先の「新潟らしさ」を準備するべきなのだ。


附記1、牛木さんの「サッカーにおける新潟らしさなんてない」は痛快でした。牛木さんが言うならそうなんだなぁと納得しちゃったもんなぁ。個人的には吉田達磨ヴァンフォーレとの大一番にスッキリした気持ちで向かえます。

2、その甲府戦、何たる運命か単行本『アルビレックス散歩道2016/オレンジの花』の発売日にぶつかりました。吉田達磨アルビレックスの苦闘を振り返る一冊です。試合前にサイン会も企画してもらってます。よろしくお願いします。

3、日テレG+でコパ・リベルタドーレス準決勝を見てたら、グレミオのスタメンにコルテースを発見しました。だもんでめっちゃグレミオを応援してたんですが、見事、バルセロナFC(エクアドル)を破って決勝進出です。決勝戦はラヌースが相手なので、いちばん盛り上がる「ブラジルvsアルゼンチン」対決になりました。頑張れコルテース!


えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。 新潟日報で隔週火曜日に連載されている「新潟レッツゴー!」も好評を博している。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。

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