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2018.12.04スペシャル
早川史哉の前を向いて歩こう 最終回・前を向いて歩こう
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新潟は先週までの寒さが嘘のように、天気が良く暖かな日が多いですね。ただ、冬はすぐそこまで来ています。新潟の冬の寒さを思い起こすだけで辛い…。冬の辛い寒さに耐えると、暖かな春が来るように、来シーズンの目標に向け、さまざまな苦難に耐えながら、最後はいい気持ちで迎えるイメージを、今からしていきたいですね!

コラムを振り返り

ついにコラム最終回。41回目の更新です。正直、、、本当に長かった(笑)。特にトップチームの練習に参加した頃から、このコラムが僕に重くのしかかってきました(笑)。土日のどちらかに試合があり、月曜日がオフなので、そこで試合を見直して文章を書く。体は休まるけれど、頭は休まらない!

そして。「負けた試合の月曜日が、こんなにも辛く暗いものなんだ」という、サポーターの皆さんと同じような思いもしました。あれは本当に辛かったし、連敗していた時期なんて、かなりショックでした。僕の感じ方ですが、「選手として負けるよりも、サポーターとして負けることの方が長く引きずるな」と。

僕がこのコラムを書いていく中で、得られた一番の収穫は間違いなくこれです。ですので、サポーターの皆さんが、いつも共に戦ってくれ、寄り添ってくれたことに感謝しなければいけません。本当にありがとうございました。

だからこそ今シーズン、長く苦しいトンネルを、みんなのチカラで抜け出すことができたことは本当に嬉しかった。アルビレックス新潟の財産になると思います。これからもこの団結力は大切にしていきたい。それぞれの立場で、いかに「チームのために」という想いでやれるのか。「ALL FOR NIIGATA」を常に胸に持っていたいですね。クラブに関わるすべての人に、来シーズン以降も求めていきたいベースの部分です。

少し脱線しましたが、コラムの話に戻ります。勝った試合は、わりとスイスイ文字を打ち込めましたが、負けた試合のように難しい試合となると…(笑)。どんな試合でも、文章を書き、皆さんに伝える。ましてや、「前を向いて歩こう」のタイトル通り、ポジティブな面も見出しながら。人に伝えるということが、どれほど大変なのかを痛感したシーズンでもありました。

プレーヤー兼サポーター兼コラムニスト。今シーズンの僕はこんな感じですかね(笑)。ただ、あくまで僕はクラブの中の人間です。だからこそ、チームや選手の状況もハッキリと見えてしまう。チームが練習で取り組んできたことを、いったん頭の中から無くし、フラットな評価をするという作業も大変なものがありました。

チームが必死に取り組んでいること、誰がどんな意識を持ってチャレンジしているのか。それをどこまで伝えていいのかの線引きにも、非常に気を遣いました。そういう意味ではさまざまな立場や視点で物事を見る能力も、コラムを書くことによって少しは養うことができたと感じています。

復帰までの2年半を振り返って

僕自身の契約凍結解除までも、振り返りたいと思います。かなり感情が入ってしまって、文章がメチャクチャかもしれません。あらかじめご了承いただき、読み進めてもらえると嬉しいです。

2016年

2016シーズン、順調にスタートしたように思ったプロサッカー選手としてのキャリア。そこから少しずつ病に蝕まれ、だんだんとチームに貢献できなくなっていったり、選手・スタッフからの要求に応えられなくなっていく歯がゆさや自分自身への失望、情け無さを感じていきました。

そんな中で日々悪化していく体調。自分の体がどうなっているのか、不安だったし、なんで動けないのかを日々考えていました。試合のメンバーに選ばれても、試合に出て迷惑をかけたくないがゆえに、「お願いだから試合に出さないで」と願う気持ち。“試合に出て活躍する”という、選手にとっての一番の喜びすら、求めることができない本当に情けない自分。そんな自分が本当に嫌いでした。

だから、白血病と分かった時は、ショックを受けるよりも、ホッとしたというのが正直な気持ちです。「これだけ動けなかったのは自分のせいじゃなかったのか、病気のせいだったんだ」って。嫌いになりかけていた自分を自分で慰めていました。

そして、トレーニングに参加しなくなってから、サポーターの皆さんが心配してくれていたのも、SNSを見て知っていました。だけど長い間隠してしまっていたこと。今でも申し訳なく思っています。本当にすみませんでした。

それは当然、あの時のチームメイトにも言えます。選手は薄々気付いていたかもしれませんが、僕の口から直接言うことができなかったのは、今でも心残りです。ただ、6月11日のホーム大宮戦で、選手たちが見せてくれた闘う姿勢に、僕は胸が熱くなりました。

病気を公表した6月14日。あの日いただいた、皆さんからの温かい励ましの言葉。その後も、常に僕のユニフォームをベンチに掲げ戦ってくれたり、僕のコールをしてくれたことは忘れません。毎試合、そういう優しさに触れるたびに、温かい涙を流していました。何回泣けばいいんだよってくらい(笑)、治療がキツくても、そういうたくさんの支えがあったから、前を向いて闘病生活を送れたと思っています。

11月。チームが残留に向け戦っている大変な時期に、僕も骨髄移植をしました。ドナーさんの善意によって、繋いでもらった命。状態が安定するまでは、かなり辛い時間を過ごしましたが、「明日には良くなるんだ!」と懸命に耐えていたのを思い出します。本当に、1日を過ごすことに必死になっていました。そのような経験から、日々を大切に過ごすという想いは強くなっていったように感じます。

2017年

2017年は我慢の年でした。移植したものの、完全に良くはなっておらず、追加の治療をするために何度か入退院を繰り返しました。検査をしても良くなっていない体。色々やってきたのに、まだ良くならないという状況にいら立ち、焦りを感じていました。そして退院しても、生活に多少の制限や体力的な問題もあり、自由のようで自由ではないもどかしさ。ある意味で、心を安定させるのが難しかった時期だったかもしれません。

7月にランニングの許可をもらえ、嬉しくなって夕方の涼しい時間帯に走ってみたものの、数分しか走れない自分の衰えた体にびっくりしたり。夏は、直射日光に気を付けながら生活し、外出しても真っ白な肌にニット帽を被っていることで、周りから病人を見る目で見られたり。そういう周りからの視線も感じたりすることも。

人前では恥ずかしくてニット帽を脱ぐことができず、ニット帽なしでは外に出られない辛さ。病院の中から外に出たことで、一般の人との違いにばかり、目を向けてしまっていました。

そうした中、12月からはクラブハウスでリハビリを開始。クラブの施設で体を動かせるのが、心の底から嬉しかった。最初は、投げてもらったボールを、足で返すのでさえ苦労しました。「すべてが錆びてしまっている」と感じながらも、ボールに触れられる楽しさ、動ける嬉しさが勝っていました。

2018年

最初はアカデミースタッフのミニゲームに入れてもらったり、ユースのリハビリの選手とリハビリをしたりしました。特に印象に残っているのは、僕がジュニアユースの時に指導してもらえた、アカデミーダイレクターの奥山さんや、U-15を指導をされている憧れの内田さんともプレーできたことです。スタッフなのに上手い方ばっかりで(笑)

3月頃からはユースの練習に参加し始めて、徐々にサッカーをできるようになっていきました。9歳、10歳くらい離れている僕に、純粋にサッカーに取り組む姿勢を見せてくれた彼らには感謝しています。足を散々引っ張ってしまいましたが、アドバイスを求めに来てくれたり。本当にかわいい、弟のような存在でした。

そのほかにも、各カテゴリーの練習にも入れてもらい、クラブ内でのサッカー仲間を沢山増やすこともできました。走りのメニューでは周回遅れになったり、1本遅れてしまったり。でも僕自身も最善を尽くし、苦しんでいる姿をアカデミーの子たちも見ています。また試合で思うように動けなくて、相手に抜かれているぶざまな姿も。でも、一生懸命プレーしたし、ひたむきにプレーをしたので、そういう僕の姿を見て、彼らが何かを感じてくれたら嬉しいです。

6月中旬にトップチームの練習初参加。今まで人工芝でプレーし、たどり着くことのできなかった場所に立つことができた。あの時の喜びや、「やっと立てた」とホッとした気持ちも、忘れることができません。あそこで練習することを、小さな目標としてやってきました。

ただ、ユースからレベルも上がり、今まで以上に自分の現在地を、嫌というほど思い知らされた瞬間でもありました。本当に悔しかったし、もっともっとコンディションを上げていきたいとも。少し前までは動けたり、ボールを蹴れるだけで幸せだったのに、できることが増えてくると次々に何かを求めてしまう。人間って本当に欲張りなんだなと痛感しました。

10月に、トップチームの練習に毎日参加するように。毎日一緒に練習することで、動ける日があっても、次の日には疲労が残って体が重くて。付いていくので精一杯になったり、翌週まで疲れが残って調子が悪かった時もありました。色々な悔しさの中でも、僕がやってこられたのは、トップの選手とプレーできる喜び、楽しさだったと思います。本当に特別な時間です。

そして11月12日契約凍結解除。今までの辛さや悔しさが、報われた日でもありました。ここまで前に進み続けてきた自分を褒めたいです。ホーム最終戦で、サポーターの皆さんの前でユニフォームを着て挨拶をし、チャントを歌ってもらったのも、本当に嬉しかったです。しかし、ここがプロ選手としての再出発点。これまで以上に強い覚悟と責任を持って、チームの力になれるように活動していきます。この2年半が、決して無駄な時間ではなかったと自分で証明するためにも、これからも突き進んでいきます!


コラムを書くための指導やサポートもそうですが、ずっと僕に寄り添い、支えてくださった栗原康祐さんに感謝申し上げます。

最後になりますが、常に温かく優しいパワーを送り続けてくださった皆さんへ。本当にありがとうございました。人の本当の温かさや優しさというものに、気付かせていただきました。僕の財産になったし、これからそういう部分も皆さんにお返しできればと思います。もう一度クラブの一員として、またアルビレックス新潟の選手として、皆さんとたくさんの最高の笑顔を。思いは招く。前を向いて歩こう。

早川史哉


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