1955年に創部した新潟イレブンサッカークラブを母体に強化を続けていた「アルビレオ新潟FC」を支える法人として、1996年4月に株式会社アルビレオ新潟が誕生した。プロサッカークラブとしての第一歩を踏み出した新潟だったが、戦いの舞台は北信越リーグ。この年の12月には、FIFAワールドカップの地元開催が決定し新潟が沸くなか、クラブは厳しい練習環境と向き合いながらジャパンフットボールリーグ(JFL)昇格を目指し、懸命の戦いを続けていた。
第22回北信越リーグ 優勝(8勝1分)
第32回全国社会人サッカー選手権大会 2回戦敗退
第76回天皇杯 1回戦敗退
年表Chronology
1996
1997
Jリーグで戦う力を証明するための絶対目標だったJFL昇格。しかし、1月の全国地域リーグ決勝大会・予選リーグで、激闘の末のPK戦に敗れてしまう。経営的にも厳しい状況が続くなか、それでもクラブは前に進んだ。チーム名を「アルビレオ新潟」から「アルビレックス新潟」へと改称。これが現在まで続くクラブの名称となった。この年の12月には、日本サッカー協会およびJリーグから、1999年にスタートするJ2リーグへの加盟が承認された。法人設立以前から、地域リーグのクラブとして戦い続けた努力が実を結んだ瞬間だった。
第23回北信越リーグ 優勝(9戦全勝)
第33回全国社会人サッカー選手権大会 3位
第77回天皇杯 2回戦敗退
第23回北信越リーグ 優勝(9戦全勝)
第33回全国社会人サッカー選手権大会 3位
第77回天皇杯 2回戦敗退
1998
全国地域リーグ決勝大会を勝ち抜き、悲願であったJFLへの昇格を達成。初代監督フランツ・ファン・バルコム氏が退任し、永井良和監督のもとでJFLに臨んだが、チームは11位と低迷した。シーズン終了後、所属選手26名のうち契約を更新した選手は9名だった。翌年からのJ2参入に向けて戦力を強化するため、苦楽をともにした選手たちに別れを告げるという苦渋の選択だった。土の上で戦い続けた戦士たち。彼らがいなければ、ワールドカップ新潟開催も、Jリーグ加盟もなし得なかった。彼らへの感謝を胸に、クラブはJ2での戦いに歩みを進めた。
第7回ジャパンフットボールリーグ 11位(12勝18敗)
第78回天皇杯 3回戦敗退
第7回ジャパンフットボールリーグ 11位(12勝18敗)
第78回天皇杯 3回戦敗退
1999
待望のJリーグ参入初年度。新潟は、開幕から怒涛の7連勝を記録して中盤戦まで首位を走るなど、周囲の予想を覆す健闘を見せた。だが、最終順位こそ4位となったが、J2のライバルたちとの力の差を感じるシーズンでもあった。集客面でも苦しみ、選手たちも参加してチラシを配りホームゲーム来場を呼び掛けた。新潟市陸上競技場を覆う熱気は生まれつつあったが、その爆発はまだ少し先のこととなる。
J2リーグ 4位(20勝2分14敗)
ヤマザキナビスコカップ 1回戦敗退
第79回天皇杯 3回戦敗退
J2リーグ 4位(20勝2分14敗)
ヤマザキナビスコカップ 1回戦敗退
第79回天皇杯 3回戦敗退
2000
前年の好成績もありJ1昇格への期待は高まっていた。しかし、チームは勝負どころでの脆さを露呈し、順位は7位に留まった。永井監督体制の集大成として臨んだシーズンだったが、厳しい現実を突きつけられることになった。また、野澤洋輔、寺川能人、本間勲など、翌年以降の躍進、そして未来に渡りアルビレックス新潟を支える人材が、クラブに加わった年でもあった。
J2リーグ 7位(15勝5分20敗)
ヤマザキナビスコカップ 1回戦敗退
第80回天皇杯 3回戦敗退
J2リーグ 7位(15勝5分20敗)
ヤマザキナビスコカップ 1回戦敗退
第80回天皇杯 3回戦敗退
2001
反町康治新監督が就任し、FIFAワールドカップのために建設された巨大スタジアム「新潟スタジアムビッグスワン(現デンカビッグスワンスタジアム)」が完成した。当初は「埋まるはずがない」とも言われた4万人のスタジアムだったが、蓋を開ければそこは熱狂の劇場と化した。最終順位は4位と昇格を逃したが、新潟が持つポテンシャルが全国に示されたシーズンだった。
J2リーグ 4位(26勝4分14敗)
ヤマザキナビスコカップ 1回戦敗退
第81回天皇杯 4回戦敗退
J2リーグ 4位(26勝4分14敗)
ヤマザキナビスコカップ 1回戦敗退
第81回天皇杯 4回戦敗退
2002
この年に開催されたFIFAワールドカップの熱狂そのままに、新潟のサッカー熱は沸騰した。マルクスが19得点を挙げて得点王に輝くなど攻撃陣が躍動し、最後まで昇格争いを演じた。しかし、わずかな勝点差で3位となり、あと一歩でJ1行きの切符を逃した。目の前で夢が零れ落ちた悔しさは、選手とサポーターの魂に深く刻まれ、昇格への強固な意志へと変わっていった。
J2リーグ 3位(23勝13分8敗)
第82回天皇杯 3回戦敗退
J2リーグ 3位(23勝13分8敗)
第82回天皇杯 3回戦敗退
2003
「今年こそ」の合言葉のもと、広島、川崎Fと熾烈な昇格争いを展開した。マルクスが32得点とずば抜けた活躍を見せ、チームを牽引した。そして迎えた最終節、ビッグスワンには当時のJ2記録となる42,223人が詰めかけた。上野優作のゴールで勝利し、悲願のJ2優勝とJ1昇格を達成。「アイシテルニイガタ」がスタジアム全体を揺るがした瞬間は、クラブにとって大きなターニングポイントとなった。
J2リーグ 優勝(27勝7分10敗)
第83回天皇杯 4回戦敗退
J2リーグ 優勝(27勝7分10敗)
第83回天皇杯 4回戦敗退
2004
初のJ1挑戦。新潟は苦しみながらも粘りの戦いをみせていた。しかし10月、新潟県中越地震が発生。ビッグスワンは自衛隊の基地となり使用不能となった。サッカー界、Jリーグの仲間たちから寄せられた数多くの支援を束ね、被災地に対して何かできることはないかと考えた日々は、クラブが「新潟の地でどうあるべきか」という存在意義とさらに深く向き合うきっかけとなった。
J1リーグ 1stステージ 14位(3勝5分7敗)
J1リーグ 2ndステージ 7位(7勝2分6敗)
J1リーグ 年間総合順位 10位(10勝7分13敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第84回天皇杯 4回戦敗退
J1リーグ 1stステージ 14位(3勝5分7敗)
J1リーグ 2ndステージ 7位(7勝2分6敗)
J1リーグ 年間総合順位 10位(10勝7分13敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第84回天皇杯 4回戦敗退
2005
クラブを初のJ1昇格に導いた反町監督のラストイヤー。昇格2年目の戦いは苦しいものとなったが、新潟がJ1に定着する礎を築いたシーズンとなった。ラストマッチとなった天皇杯のジュビロ磐田戦では、延長戦にもつれ込むなか選手たちはチームのために献身的に走り相手に食らいついた。その姿はまさに反町体制5年間の結晶。試合後、一つの時代を作り上げた指揮官に対し、サポーターからは惜しみない感謝と拍手が送られた。
J1リーグ 12位(11勝9分14敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第85回天皇杯 5回戦敗退
J1リーグ 12位(11勝9分14敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第85回天皇杯 5回戦敗退
2006
一つの時代が終わり、鈴木淳監督を迎えて新たなスタートを切った。J1での地歩を固めるために、これまで築き上げた堅守速攻にボールを大切にするエッセンスを加える挑戦がはじまった。田中亜土夢、矢野貴章らが新加入しピッチで躍動。リーグ戦では苦戦する時期もあったが、J1残留を果たし、変化を恐れずに次のステップへと進もうとする姿勢を示した一年となった。
J1リーグ 14位(12勝6分16敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第86回天皇杯 5回戦敗退
J1リーグ 14位(12勝6分16敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第86回天皇杯 5回戦敗退
2007
ブラジル人選手の個と日本人選手の組織力が噛み合い、チームは躍動した。エジミウソンがゴールを量産し、マルシオ・リシャルデスが中盤を支配。強豪とも互角以上に渡り合い、クラブ史上最高位となるJ1リーグ6位という成績を残した。新潟がJ1のクラブとして確固たる地位を築きつつあることを証明したシーズンとなった。
J1リーグ 6位(15勝6分13敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第87回天皇杯 4回戦敗退
J1リーグ 6位(15勝6分13敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第87回天皇杯 4回戦敗退
2008
主力の移籍が影響し、シーズンを通して苦しい戦いが続いた。降格圏が見え隠れする中、チームは一丸となって勝点を拾う粘り強さを見せた。残留争いのプレッシャーがかかる終盤戦でも、サポーターの熱い後押しを受けて踏みとどまりJ1の座を死守。しぶとい「新潟らしさ」は見せたものの、この頃からクラブは「戦力の維持」という命題と向き合っていくことになる。
J1リーグ 13位(11勝9分14敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第88回天皇杯 5回戦敗退
J1リーグ 13位(11勝9分14敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第88回天皇杯 5回戦敗退
2009
鈴木体制の集大成となった4年目、アタッカーを積極補強したチームは、個と組織が融合した魅力的な戦いを見せた。開幕から着実に勝点を積み上げ、上位争いにも顔を出した。矢野貴章らの献身的なプレーが光り、守備面も強化され失点の少なさはリーグ屈指となった。中盤戦以降は失速したものの、最終的には8位でフィニッシュ。J1という厳しいリーグの中で、前年の不振からの反発力を見せ、安定感を身につけた一年となった。
J1リーグ 8位(13勝11分10敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第89回天皇杯 準々決勝敗退
J1リーグ 8位(13勝11分10敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第89回天皇杯 準々決勝敗退
2010
黒崎久志監督が就任。この年、矢野貴章がワールドカップ日本代表に選出され、クラブにとって大きな誇りとなった。チームは、マルシオ・リシャルデスや若き韓国人アタッカー、チョ・ヨンチョルらが攻撃を牽引。ベテランと若手が融合しながら戦い抜き、9位という成績を残した。主力選手の移籍がある中でも、新加入選手の存在がそこを補い、クラブとしての競争力を維持し続けた。
J1リーグ 9位(12勝13分9敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第90回天皇杯 4回戦敗退
J1リーグ 9位(12勝13分9敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第90回天皇杯 4回戦敗退
2011
東日本大震災が発生し、Jリーグが中断。新潟も少なからず影響を受ける中、サッカーができる喜びと責任を改めて噛みしめるシーズンとなった。2006年以来のワーストタイとなる14位と成績は低迷し、降格の危機に瀕したが、チームとサポーターはバラバラになることなく結束。苦しい時こそ支え合うという新潟の県民性が、J1残留という結果を手繰り寄せた。
J1リーグ 14位(10勝9分15敗)
ヤマザキナビスコカップ 準々決勝敗退
第91回天皇杯 3回戦敗退
J1リーグ 14位(10勝9分15敗)
ヤマザキナビスコカップ 準々決勝敗退
第91回天皇杯 3回戦敗退
2012
シーズン途中まで降格圏に沈み、絶体絶命の状況に追い込まれた。しかし、柳下正明監督への交代を機にチームは驚異的な粘りを見せる。終盤戦、優勝争いを繰り広げていた仙台を敵地で撃破すると、最終節でも札幌に勝利し劇的なJ1残留を決めた。決して諦めない姿勢とチームの一体感は「奇跡」と語り継がれる逆転劇を生み出し、サポーターの心に深く刻まれることとなった。
J1リーグ 15位(10勝10分14敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第92回天皇杯 3回戦敗退
J1リーグ 15位(10勝10分14敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第92回天皇杯 3回戦敗退
2013
前年の奇跡的な残留の勢いそのままに、柳下監督のもとでチームは躍進した。川又堅碁が23得点を挙げる大ブレイクを果たし、得点ランキング2位となる活躍を見せた。別格の存在感を放ったレオ・シルバを筆頭に、チーム全体のハードワークと素早い切り替えが機能し、7位と上位に食い込んだ。残留争いから一転、上位をうかがう強さを取り戻した充実のシーズンとなった。
J1リーグ 7位(17勝4分13敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第93回天皇杯 3回戦敗退
J1リーグ 7位(17勝4分13敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第93回天皇杯 3回戦敗退
2014
シーズン前に主力が移籍したものの「ボール奪取の職人」レオ・シルバが存在感を発揮し、中盤の守備強度はリーグトップクラスを誇った。チームは開幕から手堅く勝点を積み上げるも、夏の中断期間でも中心選手が新潟に別れを告げる事態に。8月以降は厳しい戦いが続いたが、途中加入した指宿洋史やラファエル・シルバがフィットすると、終盤戦で持ち直し12位でシーズンを終えた。
J1リーグ 12位(12勝8分14敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第94回天皇杯 3回戦敗退
J1リーグ 12位(12勝8分14敗)
ヤマザキナビスコカップ グループリーグ敗退
第94回天皇杯 3回戦敗退
2015
シーズン途中に大黒柱だったレオ・シルバが離脱したこともあり、リーグ戦では苦戦を強いられ残留争いに巻き込まれた。カップ戦では個の力が光る試合を重ね、ベスト4に進出する勝負強さを見せたものの、年間を通じて安定感に欠けるシーズンとなった。このシーズン末をもって、柳下監督が退任。3年半にわたり、選手たちを熱く鍛え上げた闘将が新潟を離れることになった。
J1リーグ 1stステージ 17位(3勝5分9敗)
J1リーグ 2ndステージ 11位(5勝5分7敗)
J1リーグ 年間総合順位 15位(8勝10分16敗)
ヤマザキナビスコカップ 準決勝敗退
第95回天皇杯 3回戦敗退
J1リーグ 1stステージ 17位(3勝5分9敗)
J1リーグ 2ndステージ 11位(5勝5分7敗)
J1リーグ 年間総合順位 15位(8勝10分16敗)
ヤマザキナビスコカップ 準決勝敗退
第95回天皇杯 3回戦敗退
2016
法人設立20周年という節目の年、ピッチ上では苦難が続いた。新たに就任した吉田達磨監督のもとでポゼッションスタイルへの転換を図ったが、試合結果は厳しいものとなった。シーズン終盤には監督が交代。片渕浩一郎監督が引き継いだチームは、脅威的な粘りを見せ、最終的には年間15位での残留となった。変革の難しさを味わった一年となった。
J1リーグ 1stステージ 13位(4勝6分7敗)
J1リーグ 2ndステージ 16位(4勝13敗)
J1リーグ 年間総合順位 15位(8勝6分20敗)
YBCルヴァンカップ グループステージ敗退
第96回天皇杯 4回戦敗退
J1リーグ 1stステージ 13位(4勝6分7敗)
J1リーグ 2ndステージ 16位(4勝13敗)
J1リーグ 年間総合順位 15位(8勝6分20敗)
YBCルヴァンカップ グループステージ敗退
第96回天皇杯 4回戦敗退
2017
三浦文丈新監督が率いるチームは、開幕から勝利に見放され苦しい展開が続いた。その後、監督交代するも勝点を積み上げられない。そして迎えた第32節、ついにJ2降格が決定。2004年から14年間守り続けたJ1の座を失うこととなった。降格が決まった試合直後、雨のビッグスワンには「アイシテルニイガタ」の歌声がいつまでも響き続けた。
J1リーグ 17位(7勝7分20敗)
YBCルヴァンカップ グループステージ敗退
第97回天皇杯 3回戦敗退
J1リーグ 17位(7勝7分20敗)
YBCルヴァンカップ グループステージ敗退
第97回天皇杯 3回戦敗退
2018
1年でのJ1復帰を目指したが、J2の戦いは想像以上に険しいものとなっていた。スタートダッシュに失敗し、3年連続となるシーズン途中での監督交代を余儀なくされた。片渕浩一郎監督のもとで巻き返しを図り、後半戦は好調を維持したが、昇格圏内には届かなかった。J1復帰には、チームの根本的な立て直しが必要であることを痛感したシーズンとなった。
J2リーグ 16位(15勝8分19敗)
YBCルヴァンカップ グループステージ敗退
第98回天皇杯 3回戦敗退
J2リーグ 16位(15勝8分19敗)
YBCルヴァンカップ グループステージ敗退
第98回天皇杯 3回戦敗退
2019
J2での2年目、28得点で得点王に輝いたレオナルドという傑出したストライカーがチームを牽引した。彼の圧倒的な決定力はサポーターを魅了したが、チームとしての安定感を欠き、順位は中位に留まった。しかし、後半戦以降はチームを再構築しようとする動きが始まり、アカデミー出身の渡邉新太、本間至恩らを積極的に起用。翌年以降の変革の準備期間ともなった。
J2リーグ 10位(17勝11分14敗)
第99回天皇杯 2回戦敗退
J2リーグ 10位(17勝11分14敗)
第99回天皇杯 2回戦敗退
2020
スペイン人指揮官、アルベルト・プッチ・オルトネダ監督を招聘。「ボールを愛する」ポゼッションサッカーへのスタイル転換に着手した。新型ウイルス禍による過密日程の中、内容と成長にフォーカスし、若手選手を積極的に起用。声援のないスタジアムではあったが、将来を担う選手たちの躍動で「未来への希望」をサポーターに感じさせたシーズンとなった。
J2リーグ 11位(14勝15分13敗)
J2リーグ 11位(14勝15分13敗)
2021
アルベルト体制2年目、戦術の浸透とともにチームは安定感を増した。開幕から5連勝、13戦負けなしと好調を維持し、シーズンを通して昇格争いを演じた。しかし、勝負どころでの引き分けが響き、昇格圏にはあと一歩届かなかった。それでも、明確なスタイルを持って戦う新潟のサッカーはリーグでも高い評価を得ており、土台は確実に固まっていた。
J2リーグ 6位(18勝14分10敗)
第101回天皇杯 3回戦敗退
J2リーグ 6位(18勝14分10敗)
第101回天皇杯 3回戦敗退
2022
前年までコーチを務めた松橋力蔵が監督に昇格し、前任者が築いたスタイルを継承しつつ、より攻撃的に進化させた。この年に加入した伊藤涼太郎を中心に創造性あふれるプレーを見せて、中盤戦からは首位を快走。デンカビッグスワンでのホームゲームで高い勝率を誇った。自分たちのサッカーを貫き通してJ2優勝とJ1昇格を勝ち取り、クラブの歴史に新たな1ページを刻んだ。
J2リーグ 優勝(25勝9分8敗)
第102回天皇杯 2回戦敗退
J2リーグ 優勝(25勝9分8敗)
第102回天皇杯 2回戦敗退
2023
6年ぶりのJ1の舞台。昇格組ながら、恐れることなくボールを保持して攻め込むスタイルは、J1でも旋風を巻き起こした。この年のベスト・ヤング・プレーヤーに選ばれた三戸舜介らの活躍は、多くのサッカーファンを魅了。主力選手の海外移籍などもあったが、チーム全員でカバーし合い、10位でフィニッシュ。時間をかけて磨き上げたスタイルがトップリーグでも通用することを証明した。
J1リーグ 10位(11勝12分11敗)
YBCルヴァンカップ グループステージ敗退
第103回天皇杯 準々決勝敗退
J1リーグ 10位(11勝12分11敗)
YBCルヴァンカップ グループステージ敗退
第103回天皇杯 準々決勝敗退
2024
リーグ戦では苦戦を強いられながらも、最終節でJ1残留を確定させた。一方、YBCルヴァンカップではクラブ史上初となる決勝進出を果たす。国立競技場には、新潟から、そして全国から多くのサポーターが集結し、スタンドをオレンジに染め上げた。激闘の末PK戦で涙をのんだが、タイトルまであと一歩に迫ったこの経験は、クラブとサポーターの絆をより強固なものにした。
J1リーグ 16位(10勝12分16敗)
YBCルヴァンカップ 準優勝
第104回天皇杯 3回戦敗退
J1リーグ 16位(10勝12分16敗)
YBCルヴァンカップ 準優勝
第104回天皇杯 3回戦敗退
2025
Jリーグのシーズン移行という大きな転換が決まるなか、開幕を迎えることになった。クラブに関わる誰もがこのシーズンの重要性を理解していたが、ピッチ上の結果でそれを表すことができなかった。夏のウインドーでは多くの選手が入れ替わり、新戦力を多数迎えたが、チームの練度は追いつかず、最終戦を待たずにJ2への降格が決定した。クラブ間の競争が激しくなるなか、再びトップリーグに舞い戻るときには、これまで以上に力を蓄えていなくてはならない。突きつけられた現実と真摯に向き合い、クラブは31年目に挑む。
J1リーグ 20位(4勝12分22敗)
YBCルヴァンカップ 1stラウンド3回戦敗退
第105回天皇杯 3回戦敗退
J1リーグ 20位(4勝12分22敗)
YBCルヴァンカップ 1stラウンド3回戦敗退
第105回天皇杯 3回戦敗退






