【コラム】えのきどいちろうのアルビレックス散歩道 第229回

2014/9/18
 「ロジェリオ・セニ」

 先日、テレ朝チャンネルの『ブラジルリーグ2014』中継をつけたらパルメイラス×サンパウロFCのダービーマッチだった。ご存知の通り、サンパウロは人口1千万を超すブラジル最大かつ南半球最大の都市である。日系人が多いことでも知られ、例えばセルジオ越後さんはこの街の出身だ。アルビレックス新潟的には「モトハルさん」こと渡邉基治通訳のサッカー留学の地でもある。

 大都市だけにサッカークラブも派手だ。コリンチャンス、サントスFC、パルメイラス、サンパウロFCのビッグ4がひしめいており、これらの直接対決は「クラシコ」と呼ばれている。コリンチャンスはセルジオ越後さんがプレーしたチームですね。ジノ・サニやソクラテス、リベリーノ、ドゥンガがいた名門。サントスFCは僕らにとっては三浦カズでしょう。もちろんペレやネイマールでおなじみのこれも又、大名門。

 で、パルメイラスはジャイール、エメルソン・レオンかな。美しい緑色のユニホームで、おそらくは東京ヴェルディ(というより読売クラブ)のイメージの元になった。サンパウロFCはトニーニョ・セレーゾ、ファルカンが日本にもなじみがある。ご存知、赤黒白のトリコロールだ。この2チームの激突は特別に「ショッキ・レイ(直訳すると「衝撃の王様」)」と呼称される。スタジアムはパルメイラスのホーム、アリアンツ・パルケだった。

 で、今回のコラムで取り上げようと思ったのはロジェリオ・セニなんだね。元セレソンのGK。サンパウロFC在籍24年(!)。ついに今シーズン終了後の引退を表明した。サポーターからは「MITO(伝説)」と呼ばれ、圧倒的なリスペクトを受けている存在。

 ちょっと想像してもらいたいんだけど、僕らは本間勲のレンタル移籍で「精神的支柱を失った」感覚に陥るわけですよ。勲は2000年の入団だから在籍14年、ロジェリオ・セニより10年も短いんだなぁ。10年っていうとほぼ新潟がJ1に上がってからの時間に相当しますね。もう、J1以前のことを知らないサポーターも多いでしょ。それがセニは1990年から四半世紀近くずっとサンパウロFCにいる。1990年ってプリンセス・プリンセスとか石井明美がヒットしてた時代ですよ。指宿洋史も鈴木武蔵もまだこの世に生まれていない。

 だからたぶん実感として「ロジェリオ・セニがゴールを守ってない時代を誰も覚えてない」くらいの感じだと思うんですよ。日本のプロスポーツでこれに対抗するなら中日ドラゴンズの山本昌(1986年入団、在籍28年)を出すしかない。もちろん野球と比べてサッカー、フットボールの世界で移籍が頻繁なのは読者も重々おわかりでしょう。

 ただでさえそんなジャンルなのに、ブラジル人選手の場合、欧州移籍のリアリティがぜんぜん違いますね。セニがキャリアをスタートさせた90年代は欧州のサッカービジネスが急激に膨らんだ時代です。集まるマネーが欧州と南米じゃ比較にならない。セレソン級の選手が動かないでいられたのは奇跡じゃないですか。

 セニは少なくとも二度、大変目立つ形で来日している。日韓W杯とクラブ世界選手権(現在のクラブW杯)だ。何とまぁ、どちらも「世界一」に輝いている。但し、日韓W杯は控えキーパーだったから僕にはあんまり印象がない。

 強烈に覚えているのは2005年のクラブ世界選手権。大会MVPに選出された。この年は欧州からリバプールが来たんだよ。決勝ではクラウチやジェラードを擁するリバプールを完封した(スコアは1対0)。セニのキャリアのなかでもハイライトといえるね。

 それからロジェリオ・セニの面白いところはフリーキックを蹴るんだね。2005年のクラブ世界選手権でもアル・イテハド(サウジアラビア)相手にPKゴールを決めている。「GKによる通算ゴール数」のギネス記録を102まで伸ばしている。今季限りの引退を思うと(チームメイトもPKを蹴らせるだろうし)、まだ更新されるな。

 そのギネス記録はおそらく二度と破られることがないだろう。僕が今回、セニについて書こうと思った理由はそこのところだ。「GKなのに優秀なキッカー」なら今後も出現する。「長く現役を務めるGK」だって出現する。けれど、同一チームでずっとプレーするセニのような選手はもう出ないんだよ。同一チームだから「セニにPK蹴らそう」ってなったわけじゃん。ファンも受け入れたわけじゃん。移籍してたらチーム事情も異なるし、コンスタントに蹴らせてもらえなかったよ。

 だから本間勲を失った僕らは、つまり世界的な潮流のなかにいるんだ。「ロジェリオ・セニがサンパウロFCの伝説でいられた時代」が終わる。愛すべき時間が過ぎていく。読者とその郷愁や嘆きを分かち合いたい。フットボールは甘いまどろみからさめてしまった。


附記1、僕はセニが「サッカー選手がペレのようだった最後のひとり」に思えてならないんですよ。「ペレのよう」っていうのは欧州に買われることなく、「サントスの英雄」であり続けたスーパースター、というほどの意味です。そのペレですらキャリアの晩年をNYコスモスで過ごしている。別にペレがマネーに淡泊だったわけじゃなくて、時代が牧歌的だったんですね。

2、だけど、逆にいうと僕らは「甘いまどろみの時代」に間に合っていたんですよ。セニのプレーを見てる見てないということではなく、同時代人として(たぶん本間勲を通して)感覚をシェアしていた。

3、キリンチャレンジカップは松原健出してほしかったですね。アギーレ監督、みんな使うみたいなこと言ってたのになぁ。ウルグアイ戦、ベネズエラ戦ともに内容はもうひとつだったけど、世代交代は印象づけられたかな。


えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。 新潟日報で隔週火曜日に連載されている「新潟レッツゴー!」も好評を博している。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。

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