【コラム】えのきどいちろうのアルビレックス散歩道 第55回

2010/6/17
「セイロー・セイミー」

 うっかり先週、「セイローへ行って考えたことを書こうかなぁ」等と予告してしまった。記事の掲載日をよーく考えてみたらナビスコ第7節・名古屋×新潟が充分入れられることがわかった。まぁ、執筆&入稿作業はちょっとあわただしいんだけど。
 どうしようかなぁとしばらく考えて、予告通りのんびり行くことにする。ナビスコ第7節は本稿に反映させない。現在、考えている僕の名古屋取材行は「JR夜行バス×2」だ。試合当日は朝6時頃、名古屋駅桜通口に着いて、時間があるから近鉄でお伊勢さん参りして来る予定。お伊勢さん初めてなんすよ。ナビスコの勝利もあるけど、やっぱりW杯開幕直前だから矢野貴章の活躍と日本代表の勝利を祈願して来ます。そこら辺もあわせて次週よろしく!

 で、セイローである。漢字で書くと聖籠町。町をあげて「サッカーの町・聖籠町」を謳っている。もう、地名からして新潟サッカーの聖地が約束されている感じだ。事前に行き方を調べた。「白新線の佐々木駅からタクシー」か「万代シティバスセンター発(新潟駅前バスターミナル経由)免許センター行き新潟交通バスで終点、そこから徒歩」。こういう場合、トライしてみたくなるのは当然、バスの方だ。本数も少なく、難易度が高い。

 が、結局、難易度の最も低い「栗原広報へのクルマに乗っけてもらう」を選んでしまった。栗原さんに聞くと、商売で来ているロシア人のめっちゃ多い土地柄で、近くの何とかいうスーパーでは閉店時刻、ロシア語のアナウンスが入るという。それは凄いなぁ。いつか必ず聞こうと心に誓った。

 アルビレッジは本当に広大な施設だった。美咲町のイメージがあったので、意味不明に「北海道?」とか思う。僕の空間認識ではそれくらい広大だ。その広大ななかに天然芝ピッチが4面、人工芝ピッチが2面、フットサルコート、クラハウス、選手寮、オレンジカフェが所在する。これはロシア人もびっくりだろう。ロシア人は見に来ないか。

 元『サッカーマガジン』の大中祐二さんがいて、施設を案内してくれる。大中さんは練習のある日は必ずここへ詰めている。新潟は彼のおかげで他クラブがうらやむくらいの情報発信力を得た。だって編集部に残ってたら楽勝で副編(集長)張る人材がチームを見続けている。

 午後練が始まって大中さんとピッチサイドへ出る。感動したのは芝の素晴らしさだ。大中さんと「間違いなく日本一でしょう」と話し合う。練習風景はムードの明るさが印象深かった。何しろ黒崎監督の表情がゲームと全然違う。なるほど、こういうサッカーの日常というか、現場の空気のなかにこそ本領があらわれる人なのだ。本当に明るいオーラがある。この人の魅力は監督会見だけ見ても10分の1も伝わらないなぁ。

 練習メニューがゲーム形式に移った。面白いのはピッチ中央に、背中をくっつけた状態でゴールを2つ並べたことだ。GKは2つのゴールを両方守る。両チームはどちらもセンターマークへ向かって攻める。これだとシュートをふかしたら自動的に相手チームのセンタリングになってしまう。大中さんは、黒崎監督になってチームの練習メニューが変わったという。前任の鈴木淳監督は勝っても負けても一定のメニューを墨守することが多かった。黒崎さんは趣向を凝らして選手を刺激し、かつ攻撃への参加意識を根づかせる感じのメニューが目につくという。

 ピッチ脇に立っていると風が強かった。暑いくらいの日だったが、大中さんはパーカーを着ている。海が近いから風が絶え間ないのだ。これは春先や晩秋になるとめっちゃ寒いだろう。
 で、夏は練習が快適だろうと思う。海風が常に体温を下げてくれる。気温が上がっても体感気温はそれより低い。(前のことはともかくとして)新潟が夏場、苦戦する一因はこれかも知れない。ここで練習して、ヒートアイランド現象でうだるような暑さの首都圏、関西へ行ったらそりゃ厳しいに違いない。
 
 練習環境が素晴らしいのはもちろん願ってもないことだけど、難しいなぁ、素晴らし過ぎ?
 だけど、練習が何の為にあるかといったら、それはもう試合の為にあるのだ。
 

附記1、このときクラブハウスで初めて黒崎監督に御挨拶したんですよ。で、「今ネットでは▲が大流行ですよ」とお伝えした。これは黒い三角形で「黒さんカッケー」のシャレです。黒崎さんは初耳みたいでした。

2、夏場対策はどうしたらいいんでしょうね。まさかピッチをビニールハウスで覆う(暑さ、不快指数を上げる)わけにもいかないし。

3、全然反映させないのもアレなので・・。ナビスコ名古屋戦は他会場の経過をにらみつつ、一喜一憂でした。途中まで「奇跡のグループリーグ突破」かと思ったんですけどねー。

えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。

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