【コラム】えのきどいちろうのアルビレックス散歩道 第66回
2010/9/2
「青春の光と影(又、ウソ)」
J1第20節、新潟×川崎。
朝8時前に家を出て、青春18きっぷの旅。上野から高崎線、上越線、信越本線を乗り継いで正味の乗車時間が6時間ほど。これ、思ったより全然ラクでした。そもそも6時間って成田からシンガポールくらいでしょう。飛行機と違って乗り継ぎの度に喫煙タイムもとれる。たぶん全行程の半分は寝てたと思う。高崎からは偶然会った在京サポの知り合いと雑談したり、居眠りしたり。
信越本線の宮内駅で知り合いと別れ、途中下車して青島食堂へ。青島チャーシューメン超旨い。これは秋葉原店へも行こうと決意。再び乗った信越本線車中で初対面のサポ(ひとりは在京の人、ひとりは長岡の人)と意気投合、「これから回転寿司(名在門・紫竹山本店)へ行くから一緒にどうですか?」と言われ、新潟駅からタクシー。この辺りは桃太郎のサル、キジ級でしたね。佐渡ヒラメ、岩船スズキ、岩船イシダイ3皿。回転寿司からはてくてく30分くらい歩いてスワン入り。弁天橋を渡って、鳥屋野潟がきらきら輝いてるのを眺めながら、これはこれで悪くないなと思いました。「(字は違うけど)スポーツ公園・ながたの森って永田に記念植樹してもらうのはどうすか?」なんて言いながら到着。
しかし、新潟県が立派に暑い。宮内駅前でくらくら来ました。鳥屋野潟付近は風も渡って、かなりマシだったけど、今日はきびしいコンディションになりそうだ。到着してすぐピッチレベルへ出てみたら、湿度が相当だった。スタジアム内が「小さな盆地」のようになって、熱気や湿度がこもっちゃうんですね。この状況下、「中2日×2」でアウェーに乗り込んできた川崎は気の毒としか言いようがない。新潟の「中3日×2」ホーム連戦は絶対のアドバンテージだ。つまり、求められるものは何かというと完勝です。勝負に情は禁物ですよ。ここは絶対に勝っとかないといけません。
川崎はW杯後、チョン・テセ、川島が海外移籍して、だいぶイメージが変わりました。カウンターの切れ味は相変わらずなんだけど、速さでウラをとる攻めにシフトした。又、失点が少ないです。工事期間に誰も気づかないくらい見事、スタイルを徹底させた。ベストの状態だったら厄介でした。
試合。これは最初から最後まで新潟ペースでした。ほぼ清水戦と同じ展開。押し込みっぱなしです。左サイド、チョ・ヨンチョル&ミシェウのとこが発火点でした。そこから火の手があがって、川崎は対応にバタバタ追われる。ヨンチョルはゴールシーンも凄かったけど、前半、危険な匂いをぷんぷんさせててしびれました。川崎・森をあっさり抜き去ったり、ふっ飛ばしてクロス入れてましたね。
川崎はどうにもならなかったと思うんです。縦パスが出せない。貴章、ミシェウが効いてました。コンディションのわりに戦う気持ちは途切れてなかった。だけど、新潟の戦闘力が上を行った。押し込みっぱなしの展開を見て、僕は『はじめの一歩』のデンプシーロールを思い浮かべてました。ずっとKOパンチが決まる距離で攻勢が続く。
後半、ヨンチョルのゴールが2つ。これはどちらも逆襲の形から。といってカウンター速攻じゃないんだなぁ。速攻が難しいと見るやポゼッションに切り替え、崩して奪った。ヨンチョルのセンスと共に称賛すべきは、ミシェウのクリエイティビティー(創造性)だ。決定的なラストパスを送った。56分と66分の歓喜。ビッグスワンが最高の雰囲気に包まれる。
そのまま戦意喪失かと思われた川崎がロスタイム、1点返したのを忘れたくない。疲労ということならピークでしょう。2年続けて「準優勝」に終わり、僅差で栄冠を逃した経験ってのはダテじゃないです。優勝するにはどんなに頑張らなきゃいけないか身にしみている。
新潟はミスからボールを奪われた。結果を見れば完勝だけど、ロスタイム、あとほんのわずか不運が重なったらドローにもなり得るエンディングでした。完勝の試合に水をさすようで気が引けるけど、上を目指すんだったら甘くないですよ。死力をふりしぼった川崎に学ぶことは多いと思います。
附記1、で、試合後、「ムーンライトえちご」で帰京した青春18フルコースでした。こう、又ひとつ経験値が上がった気がします。チャレンジしてよかった。行きも帰りも川崎サポと一緒で(青島食堂店内でも!)、彼らの頑張りも大したもんだと思った。彼らは何度はね返されてもスワンへやって来るでしょう。何度でもはね返してあげてください。
2、スプリンクラーの誤作動で、2年続けて川崎サポーター席へ水がかかってしまった一件は残念ですね。あのときピッチサイドのカメラマンさんも直撃を食らいかけたんです。(←逃げてましたけど)本当にびっくりでした。
3、帰りに新潟駅で僕を見かけて「ガチャガチャの三門ストラップ」をくれた方、僕がもらってよかったんでしょうか。かばんからどう見てもガチャガチャのプラ容器を出して、「はい」ってくれたとき、鬼退治について行きそうになりました。確か福島の方で、大学時代を新潟で過ごされたということでした。(三門ストラップなしで)福島へ帰られたんだと思います。
えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。
※アルビレックス新潟からのお知らせ
コラム「えのきどいちろうのアルビレックス散歩道」は、アルビレックス新潟公式サイト『モバイルアルビレックス』で、先行展開をさせていただいております。
更新は公式携帯サイトで毎週木曜日に掲載した内容を、翌週木曜日に公式PCサイトで掲載するスケジュールとなります。えのきどさんがサポーターと同じ目線で見て、感じた等身大のコラムは、試合の感動が覚める前に、ぜひ公式携帯サイトでご覧ください!
J1第20節、新潟×川崎。
朝8時前に家を出て、青春18きっぷの旅。上野から高崎線、上越線、信越本線を乗り継いで正味の乗車時間が6時間ほど。これ、思ったより全然ラクでした。そもそも6時間って成田からシンガポールくらいでしょう。飛行機と違って乗り継ぎの度に喫煙タイムもとれる。たぶん全行程の半分は寝てたと思う。高崎からは偶然会った在京サポの知り合いと雑談したり、居眠りしたり。
信越本線の宮内駅で知り合いと別れ、途中下車して青島食堂へ。青島チャーシューメン超旨い。これは秋葉原店へも行こうと決意。再び乗った信越本線車中で初対面のサポ(ひとりは在京の人、ひとりは長岡の人)と意気投合、「これから回転寿司(名在門・紫竹山本店)へ行くから一緒にどうですか?」と言われ、新潟駅からタクシー。この辺りは桃太郎のサル、キジ級でしたね。佐渡ヒラメ、岩船スズキ、岩船イシダイ3皿。回転寿司からはてくてく30分くらい歩いてスワン入り。弁天橋を渡って、鳥屋野潟がきらきら輝いてるのを眺めながら、これはこれで悪くないなと思いました。「(字は違うけど)スポーツ公園・ながたの森って永田に記念植樹してもらうのはどうすか?」なんて言いながら到着。
しかし、新潟県が立派に暑い。宮内駅前でくらくら来ました。鳥屋野潟付近は風も渡って、かなりマシだったけど、今日はきびしいコンディションになりそうだ。到着してすぐピッチレベルへ出てみたら、湿度が相当だった。スタジアム内が「小さな盆地」のようになって、熱気や湿度がこもっちゃうんですね。この状況下、「中2日×2」でアウェーに乗り込んできた川崎は気の毒としか言いようがない。新潟の「中3日×2」ホーム連戦は絶対のアドバンテージだ。つまり、求められるものは何かというと完勝です。勝負に情は禁物ですよ。ここは絶対に勝っとかないといけません。
川崎はW杯後、チョン・テセ、川島が海外移籍して、だいぶイメージが変わりました。カウンターの切れ味は相変わらずなんだけど、速さでウラをとる攻めにシフトした。又、失点が少ないです。工事期間に誰も気づかないくらい見事、スタイルを徹底させた。ベストの状態だったら厄介でした。
試合。これは最初から最後まで新潟ペースでした。ほぼ清水戦と同じ展開。押し込みっぱなしです。左サイド、チョ・ヨンチョル&ミシェウのとこが発火点でした。そこから火の手があがって、川崎は対応にバタバタ追われる。ヨンチョルはゴールシーンも凄かったけど、前半、危険な匂いをぷんぷんさせててしびれました。川崎・森をあっさり抜き去ったり、ふっ飛ばしてクロス入れてましたね。
川崎はどうにもならなかったと思うんです。縦パスが出せない。貴章、ミシェウが効いてました。コンディションのわりに戦う気持ちは途切れてなかった。だけど、新潟の戦闘力が上を行った。押し込みっぱなしの展開を見て、僕は『はじめの一歩』のデンプシーロールを思い浮かべてました。ずっとKOパンチが決まる距離で攻勢が続く。
後半、ヨンチョルのゴールが2つ。これはどちらも逆襲の形から。といってカウンター速攻じゃないんだなぁ。速攻が難しいと見るやポゼッションに切り替え、崩して奪った。ヨンチョルのセンスと共に称賛すべきは、ミシェウのクリエイティビティー(創造性)だ。決定的なラストパスを送った。56分と66分の歓喜。ビッグスワンが最高の雰囲気に包まれる。
そのまま戦意喪失かと思われた川崎がロスタイム、1点返したのを忘れたくない。疲労ということならピークでしょう。2年続けて「準優勝」に終わり、僅差で栄冠を逃した経験ってのはダテじゃないです。優勝するにはどんなに頑張らなきゃいけないか身にしみている。
新潟はミスからボールを奪われた。結果を見れば完勝だけど、ロスタイム、あとほんのわずか不運が重なったらドローにもなり得るエンディングでした。完勝の試合に水をさすようで気が引けるけど、上を目指すんだったら甘くないですよ。死力をふりしぼった川崎に学ぶことは多いと思います。
附記1、で、試合後、「ムーンライトえちご」で帰京した青春18フルコースでした。こう、又ひとつ経験値が上がった気がします。チャレンジしてよかった。行きも帰りも川崎サポと一緒で(青島食堂店内でも!)、彼らの頑張りも大したもんだと思った。彼らは何度はね返されてもスワンへやって来るでしょう。何度でもはね返してあげてください。
2、スプリンクラーの誤作動で、2年続けて川崎サポーター席へ水がかかってしまった一件は残念ですね。あのときピッチサイドのカメラマンさんも直撃を食らいかけたんです。(←逃げてましたけど)本当にびっくりでした。
3、帰りに新潟駅で僕を見かけて「ガチャガチャの三門ストラップ」をくれた方、僕がもらってよかったんでしょうか。かばんからどう見てもガチャガチャのプラ容器を出して、「はい」ってくれたとき、鬼退治について行きそうになりました。確か福島の方で、大学時代を新潟で過ごされたということでした。(三門ストラップなしで)福島へ帰られたんだと思います。
えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。
※アルビレックス新潟からのお知らせ
コラム「えのきどいちろうのアルビレックス散歩道」は、アルビレックス新潟公式サイト『モバイルアルビレックス』で、先行展開をさせていただいております。
更新は公式携帯サイトで毎週木曜日に掲載した内容を、翌週木曜日に公式PCサイトで掲載するスケジュールとなります。えのきどさんがサポーターと同じ目線で見て、感じた等身大のコラムは、試合の感動が覚める前に、ぜひ公式携帯サイトでご覧ください!