【コラム】えのきどいちろうのアルビレックス散歩道 第155回

2012/11/8
 「一連の出来事」

 J1第30節、新潟×鳥栖。
 完敗だった。ユン・ジョンハン監督は会心のゲームじゃないか。鳥栖はよくオーガナイズされたチームで、意思統一がはっきりしている。難敵だなぁと思っていた。が、想像以上だった。鳥栖は完全に今季、J1の台風の目になっている。仙台、広島が優勝争いを演じ、鳥栖が大暴れしている12年シーズンは「地方クラブの年」だ。そこで新潟が取り残され、置いてかれた意味を(特にチーム編成・強化の面で)このオフには反省、検討すべきだろう。

 が、もちろんチームはそれどころじゃない。この日、サポーターは「史上最大の入り待ち」作戦を決行、ビッグスワン正門前に3000人を集めた。選手らは3000人の歌う「アイシテル ニイガタ」に送られて会場入りする。14時キックオフの試合では大宮が勝ち、ガンバが引き分けた。勝つしかない。勝たなければ残留ラインが遠のいていく。

 誰もがこの試合の重さをかみしめていた筈だ。もはや新潟はトーナメントのような「1戦必勝」の意識である。が、思いも寄らぬ開始早々の失点(前半3分、得点者・豊田陽平)を喫する。このつまずきが効いた。点が取れているチームなら序盤の失点など何でもないだろう。が、新潟はそうではない。気持ちがあせる。ミスが生じる。対して鳥栖は自信を持ってプレッシャーをかけ、ボールを奪う。ゲームを支配されてしまった。

 この日の鳥栖は豊田、水沼が良かった。チーム全体も自分らの武器をわかっている。前半38分に追加点(得点者・豊田)を決められる。新潟からすると(連携の面で)GKが東口で、CBにこの日、累積欠場の鈴木大輔が入っていたらと思ってしまうが、まぁ、それは黒河、大井という2人のプレーヤーに失礼というものだろう。わずかなスキを突いて得点を奪った鳥栖が見事だった。

 新潟にも惜しいシーンがあったのだけど、ここへ来て「あれが惜しかった」「あれがいい攻めだった」と振り返っても仕方ないだろう。結果がすべてだ。そして新潟は無得点で敗れた。残留ラインの大宮とは勝ち点が5差まで広がった。可能性が消えたわけではないが、この先は本当に気持ちを強く持たないとつぶれてしまう。「奇跡を呼び込む」領域まで来たのだ。これはもう、すごくわかりやすい。戦うのかあきらめるのか。見続けるのか見捨てるのか。

 面倒なので早めに自分の態度表明をすませておく。僕はサポーター有志が今季終了まで続行するという「史上最大の入り待ち」作戦に参加する。アウェー2試合は仕事で見にいけないが、ホーム2戦は必ず正門前でチームバスを出迎える。そして、今季の結果如何に関わらず、来シーズンも毎週、原稿を書く。以上、約束した。僕は約束したことは守りますよ。

 ここからカンケイない話を書かせてもらう。去る10月29日、セルジオ越後さんの来日40周年パーティーが新橋の第一ホテル東京で行われた。サンパウロに生まれ、プロエンザ高校在学中に名門コリンチャンスとプロ契約した日系テクニシャンは1972年、藤和不動産サッカー部の助っ人選手として来日、引退後は日本全国津々浦々をまわって普及・指導に尽力された。実に教え子60万人だ。カズもゴンも秋田も藤田もセルジオさんの「さわやかサッカー教室」(ネーミングはコカコーラがスポンサーだったことに由来する)で教えを受けている。

 パーティーの発起人にはジャーナリストの賀川浩さんを始め、セルジオさんゆかりの大物が名を連ね、会場にはサッカー界の主だったところが顔を揃える。それはもう壮観だった。僕はまず、水沼貴史さんと話し込んだ。「一昨日は息子さんにやられましたよ」と申し上げる。水沼さんは9月の名古屋戦でビッグスワンに入られてて、何と『アルビレックス散歩道2011』を買ってくださったそうだ。

 「(実況アナの)八塚さんが持ってて、何それって言ったらサイン会に並びましたって言うから、僕もサインしてもらおうと買いに行ったんだよ。だけど、もうえのきどさんいなかったよ」
 「うわ、す、すいません」
 「何で新潟やってるの?」
 これが意外と説明が大変だ。僕を新潟につないでくれた人の縁について話すと長くなる。
 「僕はへそ曲がりですからね、首都圏のクラブは僕が書かなくても誰かライターがついてるんですよ。だけど、地方クラブは本当に書き手が手薄なんです。サッカー誌でも情報が偏ってる。そんなおかしなことはないだろうって思ったんですよね」
 へそ曲がりって説明は(以前も経験あるけど)実にすんなり受け入れてもらえる。それから水沼さんの新潟分析を拝聴した。僕は「いつかタイミングが合ったら現場に戻ってくださいよ。新潟を強くしてほしいなぁ」とちゃっかり売り込む。ま、感触は悪くなかったですね~。

 それからスタジアムイベントでご一緒した平畠啓史さんとも再会した。平ちゃんは開口一番「苦しくなりましたねー」。それから実に嬉しいことを言ってくれた。正確に伝えますよ、「だけど、僕はあのサポーターなら乗り越えると思う。今は苦しくても、あのサポーターなら大丈夫だと思う」。筋金入りのサッカーフリークは新潟に根づいたサッカーを信頼してくれている。

 あとスカパーの昔なじみと日韓W杯のときの現場の話をしたり、まぁ、色んな人と語り合ったんだけど、何しろゲストの人数が400人を超えてるから全部はとてもまわり切れない。で、帰りがけにばったり、黒崎久志・前監督にお会いしたのだ。黒崎さんは変わらぬ精悍な印象だった。セルジオさんが栃木の藤和不動産で(まだ日本語も不自由な現役時代に)、最初に教えた少年チームのひとりが黒崎さんだったのだ。

 黒崎さんは「それよりも…」と言って、堰を切ったように新潟の話をする。「もう心配で心配で…」。「試合は見てますけど、○○はどうですか?」「○○は元気にしてますか?」。僕はお会いできてよかったなぁと思った。あと、退任された後、震災のことを黙って書いたことをお詫びした。黒崎さんと握手をして、パーティー会場を後にしたのだ。この話が書きたかった。


附記1、何かふたつの文章を無理につなげた感じになってますけど、僕にとっては一連の出来事なんですよ。試合とパーティーで会った人との会話が響きあって、すごく感じるものがあったんですよ。

2、しかし、セルジオさんと仲がいいから言いますが、来日40周年にしては日本語ヘタですよね。もしかすると確信犯的に一定以上、日本語に熟達しないようにしたのかもしれない。だって流暢に話すより「セルジオ語」のほうが断然、説得力があります。

3、祝辞で笑ったのは高橋陽一さんでした。高橋先生は『キャプテン翼』の最初の構想では、翼君をブラジル留学させようかなと思っていたらしいんです。で、ブラジルのことが知りたくてセルジオさんと会食をセットしてもらった。そしたらセルジオさんが「ボールはともだち」にいきなりダメ出しですよ。「ブラジルではひとり1個、ボールとともだちにはならない。1個あったらみんなで遊ぶ」。高橋先生はブラジル留学のプランをあきらめ、日本の小学校で翼君を成長させることにしたそうです。


えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。

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