【コラム】えのきどいちろうのアルビレックス散歩道 特別編「柳下正明監督 11,000字インタビュー」(後編)
2013/3/7
えのきど「柳下さんはどんな選手だったんですか。ワールドユース世代ですね」
柳下「高校は浜名高校だったんですが、静岡の中でもタフなサッカーをやっていたチームだったんで、高校時代は激しいタイプの選手でした。ただ体がそんなに大きくなかったんで、予測する、狙う、読むことでプレーするようになっていきました」
えのきど「体が小さかったから、読んでプレーするっていう感じに?」
柳下「もともとはFWだったんですがFWでは生き残れなくって、高校2、3年でDFをやるようになりました。最終的にDFが自分が勝負するポジションになりました。その時にボールが奪えるようになっていったんですね。なんとなく読めるようになったんですね。仲間に『お前すごいな』って言われても、なぜかはわからなかった。ただ相手をよく見るとボール保持者がどういう動き方、持ち方をしてるかで、どこを狙っているかがわかる、これは今の選手たちにも言ってるんだけどなかなかうまくいってないですね。大学、ヤマハ時代はガツガツっていうプレーは減っていったと思います」
えのきど「僕は、風間八宏さんとか水沼貴史さんとかに、松本育夫さん(1979年ワールドユース日本代表監督)にとんでもない練習をさせられた話を…」
柳下「(笑)」
えのきど「そのですね、壁に『助けて』『帰りたい』って書いてあった検見川の合宿の話を聞くのが大好きなんですよ。あとで松本育夫さんが『おまえら悪かったなぁ、オレも今ならもっとうまく指導できた』って謝ったという、伝説の合宿の…」
柳下「(笑)。あの合宿、一次から最後まで出たのが僕と尾崎(加寿夫)だけだったんですよ」
えのきど「すげー。一次から最後まで。地球10周くらい走ったそうですね」
柳下「でも浜名高校時代でも走らされてたんで、ユースの合宿もキツかったんですが…うーん、まあ、耐えられましたけれどね。他の選手がいうほど…まあキツイのはキツかったんですけれどね。耐えられましたよ。ただ、その経験は今でも役立ってますよ。いろんな経験からこれはいいなとかこれはあの時はきつかったけど、あとで役立つなってわかりますよ。科学的なトレーニングだけではない、メンタルを考えてね。例えばこのトレーニングは短くてもいいんだけれどわざと少し長くしておけば、苦しい時にあとで役立つなってわかりますよ」
えのきど「土壇場でどうするか、対応するって力は理屈だけじゃないことありますからね」
柳下「日本はあの当時アジアでも勝てなかったのに、地元開催だから世界大会に出るっていうことで、やったんですよ。でもいきなり世界大会でしたからね、実際に世界と戦えるって意識は、本大会が始まるまで無かった感じでしたね。始まってから『すごい! 勝ちたい!』って気持ちがみんな呼び起されて」
えのきど「なるほど」
柳下「スペインに負けて、アルジェリアと引き分けて、3戦目のメキシコとやる直前のゲームでスペインが負けちゃったもんだから、日本がメキシコに勝っても決勝トーナメントに上がれなかったんですよ。その時は悔しかったですね『何のためにあんなキツイ練習やってきたんだ』って。遅かったんですね、気づくのが。本大会が始まってからすごい大会なんだって感じたんですから。一日一日を無駄にしてたんですよね…。今の選手たちもそうです。プロになってもそこから一日一日なんですよ。うまくなれば強くなれば、給料も上がるし海外にも行けるって目標が出てくる。目標が明確にしっかりある選手は一日一日が違いますね」
えのきど「僕はJリーグの前からサッカーの記者、評論をやってた人とJリーグの後からサッカー記者になった人は、やっぱり違うなあって感じるんですよ。Jリーグが出来てからの人は、言っちゃ悪いけれど、一種、仕方のないこととして飯のタネなんですよ。に対してJリーグ以前からやってる人は、書いても売り先さえないなかでやってきた、変わりモンなんですよね。だから個性が際立ってる」
柳下「サッカーが好きなんですね」
えのきど「ワールドユースにマラドーナが来たよとか、メキシコ大会に行ってみようとか。ひとつひとつの出来ごとにぶつかって、見て、つかまえて、感動してきたんだなあって。金にもならないのに。これは選手でも同じかなって思えて、ひとつひとつの出来ごとにぶつかって感動して生きてきたって…その感じ、柳下さんにも同じことを感じるんですよ。この人のサッカーはそうやって出来たのかなって。まあ、これは勘ですけどね(笑)」
柳下「それはあるのかな…。選手のときも自分では納得のいかないことがあると文句言ったり、高校の時も大学の時も先生とぶつかったり、指導者になってからも磐田ではよく西(紀寛)とはやり合いました。西とは、ヴェルディとのプレシーズンマッチの時に握手したりしましたけれどね。監督になってどのチームでも、必ず選手とやり合いましたね。この場面で言わないと、俺じゃないなって思って。後で周りのコーチたちから『言い過ぎですよ』って言われたりもしましたけど、まぁ、いいやと思っちゃ俺じゃないな、ここで言わないのは自分じゃないなって、思ってやってきましたね」
えのきど「アルビレックス新潟に来てからもそれはあるんですね」
柳下「そうですね、それはありますね」
えのきど「チームは今シーズンどんな感じですか」
柳下「去年、やろうとしてきたことがやれそうな手応えはあります。攻撃の時にしっかりとボールを保持するということ。ここまでの練習試合でも出来てるし、手応えはつかんでます」
えのきど「今日はゴール前にDFのダミーを立てて、その裏へ抜ける練習をやってましたね。あのダミーに突っ込んでってぶつかるヤツ(川又!)がいたりしましたね。」
柳下「(笑)いましたね、ぶつかってましたね。相当疲れてますね。あの練習はね、せっかくツートップなんで2人が同じ動きしても意味がない、違う動きをしなさいっていうのを伝えてるんです。2つ3つくらいの動きとかカタチを伝えてるところです」
えのきど「そういう動きにしても、何度でも選手たちにはしつこく動き直してほしいですね」
柳下「それは磐田でもオフトがよく言ってました。それがゴン(中山雅史)、高原(直泰)、前田(遼一)(いずれも、過去・現磐田所属選手)…彼らが残ってる理由です。『1回動くのは誰でも出来る、2回3回動き直すと相手も困るしフリーになるよ』って。それが出来るようになった選手が一流になっていくよってね。でもこれね、若いうちは早く身につく、25歳過ぎて30近くになると…なかなか身につけるのが難しい、どこまで状況がイメージ出来るかなんです。ただ田中達也は出来る。達也は若い時にオフトと2年くらい一緒にやってるんですね。おそらく『小さいんだから止まってプレーしても意味がないぞ、2回3回と動きながらだぞ』って言われてたんでしょう。だからやっぱり動いて、そして動き直しもしますよ。達也が体調整えてゲームに絡んできたら相当いいプレーすると思いますよ」
えのきど「若い選手で言うと…武蔵は?」
柳下「武蔵、うーん。去年言って少し出来たんです。U20 でケガして3カ月休んで戻ってきたらゼロだった。全くなくなっちゃてて、また一からやり直し」
えのきど「そういうもんですか」
柳下「それでオフ明けまたゼロだった。積み重なってないんですね、残念ながら。そういうもんなんですね。考えるタイプじゃないからかな。小塚も武蔵も高知では相当落ちてたんでね。悩んでまた落ちて上がってくるんじゃないですか。これを乗り越えるとゴーンって伸びる。今、底ですね。落ちてるっていう感じです。悩んで落ちてくれるといいなと思ってるんです。ちょっと楽しみです。大体、上がってくる前はこう下がってますから」
えのきど「ワカゾーの跳躍力っていうか、よくもまぁってびっくりするくらいのときがありますね。びょーんって変わりますね」
柳下「大体、3ヵ月6カ月でまず変化はあるんですよね。それでも変わらないっていうのは1年で。1年変わらなかったらなかなか…厳しい。稀だったのは加賀(健一・現FC東京)。彼は1年間変わらなかったんですよ。2年目の途中から変わったんです。もともとスピードと強さががあったからかな」
えのきど「それは自分のものにしていく速度の違いなんですか?」
柳下「そうかもしれないし、もしかしたら、欲があんまりないからかな。秋田県人だからかな。でもこれだけのものを持ってるんだからって、ちょうどヒデ(元磐田・鈴木秀人)とかいたから自分で感じたときがあったんじゃないんですかね」
えのきど「今の選手でそういう吸収力、キャッチする感受性があるなっていうのは?」
柳下「亜土夢は変わったんですよね。変わろうとしてるのは三門」
えのきど「変わろうとしてる?」
柳下「三門は少しずつ顔を出そうとしてる。ボールを受けても横とか後ろに逃げるパスが多かったけれど、そこも変わってきている。良くなってくればまた彼の良さが出ると思います」
えのきど「三門選手のことだけじゃないけれど、その怖がらない、勇気ってことを話されてますね」
柳下「ミスを怖れるなって。ボールは一個しかないんだから、それを欲しがらないっていうのはサッカーというスポーツにならないってよく言いました。ミスは構わないから、とにかくボールを受ける動きをしてくれって」
えのきど「なるほどね」
柳下「今シーズン入ってきた選手では、クナン、水輝は僕が言ってることをすごく忠実にやろうとしています。守備に関しては、今までと違う感じのことをおそらく言わてると思いますが、それを一生懸命忠実にやろうとしてる。これから続けていってくれたらもっと良くなると思いますね。基本的には真面目な選手が多いですからね、言われたことに取り組もうとしてくれます」
えのきど「ここまでは順調ですか? 手応えは?」
柳下「あります、ここまでは順調です」
えのきど「ボランチが多いと思うんですけれど」
柳下「でも2つのポジションを4人ですからね。FWが一番多いんです。2つを5人ですから、そっちの方が多いですよ」
えのきど「それは、やっぱりチーム内の競争をしていいところを出していきたいということですか」
柳下「それはそうですね。こちら側はツライですけれど」
えのきど「自分の定位置を持ってる、ポジションを確保してるっていう選手もいましたが、そこも競争をさせたいと考えてますか?」
柳下「チームを作っていく上ではね、ある程度、中心となる選手は変えずにおきたいんですね。今年も何人かは固定していくとは思っています。が、ただサボったり悪かったりすることがあったら変えます。ポンっと変えます。それぐらいに選手の層は厚くなってきていますので」
えのきど「ポジションごとに数名の選手がイメージできる感じですから、バックアップはある程度は厚くなってきたなっていうことですね」
柳下「昨年と比べても、選手層は上の方、高いレベルになっていると思います」
えのきど「あとはやってみないとわからない部分も多い…」
柳下「それはありますね。これはどこのチームもそうだと思います。自分で選手の質もチーム力も上がってきたと思ってても、間違いなく他のチームも同じように上がってるわけですからね」
えのきど「監督さんって商売は不安なもんですか? 手応えはあっても不安なもんですか?」
柳下「全く不安がないってことはないですよ。シーズン、試合が始まってみないと次にどうしたらいいかってことは見えてこないし、どうなるかわからないし、それはありますよ。始まる前が一番不安ですね」
えのきど「ここまでの話でも、柳下さんがやりたいサッカーのスタイルも出来つつあって、複数の選手を様々なポジションに配することが出来てもいるし、手応えはあるとわかるんですが、それでも不安なものですか、始まるまでは」
柳下「始まってしまえば、違うんですけれどね」
えのきど「それはアレですよね、信越本線が越後石山、亀田、荻川すぎて、さつき野へ向かうあたりまではパラボラアンテナつけてる家が多くて、そこから徐々に…」
広報「そろそろ、お時間なんですが…(笑)」
えのきど「あ、そうですか。えっと…、今シーズンもがんばってください」
柳下「ありがとうございました。失礼します」
「インタビュー後記」
柳下監督とは初対面です。緊張しました。だけど、意外なほどスムーズに話に入っていけた。これは同世代ってことかなぁと思いました。ま、同世代どころか同い歳らしいんですけどね。インタビューのなかで「ワールドユース」の話が出てくるでしょ。これは僕らの世代、日本サッカーが体験した大冒険の記憶です。
ワールドユース東京大会。初めて我が国が主催した大規模な世界大会ですね。当然、日本サッカー協会は強化に本腰を入れて、松本育夫監督のもと、当時の俊英たちが地獄の特訓合宿みたいなことをやる。これが本当に「地球10周くらい走らされた」らしいんだなぁ。それだけやったのに大会では歯が立たなかった。
けれど、へなちょこ軟派学生だった僕にはまぶしいことですね。同世代のすんごい奴らが「世界」にぶち当たった。ボーイ ミーツ ワールドですよ。その体験はその後の彼らにサッカー人としての芯を作った気がします。めっちゃ個性的ですよ、どの顔を見ても。
僕は柳下正明というサッカー人を信頼しています。インタビューのなかで「血の通った経験」として語られていることは、千金の重みがありますね。ヤンツーさんは一日にして成らずです。アルビレックス新潟はいい監督を持ったと思います。
柳下「高校は浜名高校だったんですが、静岡の中でもタフなサッカーをやっていたチームだったんで、高校時代は激しいタイプの選手でした。ただ体がそんなに大きくなかったんで、予測する、狙う、読むことでプレーするようになっていきました」
えのきど「体が小さかったから、読んでプレーするっていう感じに?」
柳下「もともとはFWだったんですがFWでは生き残れなくって、高校2、3年でDFをやるようになりました。最終的にDFが自分が勝負するポジションになりました。その時にボールが奪えるようになっていったんですね。なんとなく読めるようになったんですね。仲間に『お前すごいな』って言われても、なぜかはわからなかった。ただ相手をよく見るとボール保持者がどういう動き方、持ち方をしてるかで、どこを狙っているかがわかる、これは今の選手たちにも言ってるんだけどなかなかうまくいってないですね。大学、ヤマハ時代はガツガツっていうプレーは減っていったと思います」
えのきど「僕は、風間八宏さんとか水沼貴史さんとかに、松本育夫さん(1979年ワールドユース日本代表監督)にとんでもない練習をさせられた話を…」
柳下「(笑)」
えのきど「そのですね、壁に『助けて』『帰りたい』って書いてあった検見川の合宿の話を聞くのが大好きなんですよ。あとで松本育夫さんが『おまえら悪かったなぁ、オレも今ならもっとうまく指導できた』って謝ったという、伝説の合宿の…」
柳下「(笑)。あの合宿、一次から最後まで出たのが僕と尾崎(加寿夫)だけだったんですよ」
えのきど「すげー。一次から最後まで。地球10周くらい走ったそうですね」
柳下「でも浜名高校時代でも走らされてたんで、ユースの合宿もキツかったんですが…うーん、まあ、耐えられましたけれどね。他の選手がいうほど…まあキツイのはキツかったんですけれどね。耐えられましたよ。ただ、その経験は今でも役立ってますよ。いろんな経験からこれはいいなとかこれはあの時はきつかったけど、あとで役立つなってわかりますよ。科学的なトレーニングだけではない、メンタルを考えてね。例えばこのトレーニングは短くてもいいんだけれどわざと少し長くしておけば、苦しい時にあとで役立つなってわかりますよ」
えのきど「土壇場でどうするか、対応するって力は理屈だけじゃないことありますからね」
柳下「日本はあの当時アジアでも勝てなかったのに、地元開催だから世界大会に出るっていうことで、やったんですよ。でもいきなり世界大会でしたからね、実際に世界と戦えるって意識は、本大会が始まるまで無かった感じでしたね。始まってから『すごい! 勝ちたい!』って気持ちがみんな呼び起されて」
えのきど「なるほど」
柳下「スペインに負けて、アルジェリアと引き分けて、3戦目のメキシコとやる直前のゲームでスペインが負けちゃったもんだから、日本がメキシコに勝っても決勝トーナメントに上がれなかったんですよ。その時は悔しかったですね『何のためにあんなキツイ練習やってきたんだ』って。遅かったんですね、気づくのが。本大会が始まってからすごい大会なんだって感じたんですから。一日一日を無駄にしてたんですよね…。今の選手たちもそうです。プロになってもそこから一日一日なんですよ。うまくなれば強くなれば、給料も上がるし海外にも行けるって目標が出てくる。目標が明確にしっかりある選手は一日一日が違いますね」
えのきど「僕はJリーグの前からサッカーの記者、評論をやってた人とJリーグの後からサッカー記者になった人は、やっぱり違うなあって感じるんですよ。Jリーグが出来てからの人は、言っちゃ悪いけれど、一種、仕方のないこととして飯のタネなんですよ。に対してJリーグ以前からやってる人は、書いても売り先さえないなかでやってきた、変わりモンなんですよね。だから個性が際立ってる」
柳下「サッカーが好きなんですね」
えのきど「ワールドユースにマラドーナが来たよとか、メキシコ大会に行ってみようとか。ひとつひとつの出来ごとにぶつかって、見て、つかまえて、感動してきたんだなあって。金にもならないのに。これは選手でも同じかなって思えて、ひとつひとつの出来ごとにぶつかって感動して生きてきたって…その感じ、柳下さんにも同じことを感じるんですよ。この人のサッカーはそうやって出来たのかなって。まあ、これは勘ですけどね(笑)」
柳下「それはあるのかな…。選手のときも自分では納得のいかないことがあると文句言ったり、高校の時も大学の時も先生とぶつかったり、指導者になってからも磐田ではよく西(紀寛)とはやり合いました。西とは、ヴェルディとのプレシーズンマッチの時に握手したりしましたけれどね。監督になってどのチームでも、必ず選手とやり合いましたね。この場面で言わないと、俺じゃないなって思って。後で周りのコーチたちから『言い過ぎですよ』って言われたりもしましたけど、まぁ、いいやと思っちゃ俺じゃないな、ここで言わないのは自分じゃないなって、思ってやってきましたね」
えのきど「アルビレックス新潟に来てからもそれはあるんですね」
柳下「そうですね、それはありますね」
えのきど「チームは今シーズンどんな感じですか」
柳下「去年、やろうとしてきたことがやれそうな手応えはあります。攻撃の時にしっかりとボールを保持するということ。ここまでの練習試合でも出来てるし、手応えはつかんでます」
えのきど「今日はゴール前にDFのダミーを立てて、その裏へ抜ける練習をやってましたね。あのダミーに突っ込んでってぶつかるヤツ(川又!)がいたりしましたね。」
柳下「(笑)いましたね、ぶつかってましたね。相当疲れてますね。あの練習はね、せっかくツートップなんで2人が同じ動きしても意味がない、違う動きをしなさいっていうのを伝えてるんです。2つ3つくらいの動きとかカタチを伝えてるところです」
えのきど「そういう動きにしても、何度でも選手たちにはしつこく動き直してほしいですね」
柳下「それは磐田でもオフトがよく言ってました。それがゴン(中山雅史)、高原(直泰)、前田(遼一)(いずれも、過去・現磐田所属選手)…彼らが残ってる理由です。『1回動くのは誰でも出来る、2回3回動き直すと相手も困るしフリーになるよ』って。それが出来るようになった選手が一流になっていくよってね。でもこれね、若いうちは早く身につく、25歳過ぎて30近くになると…なかなか身につけるのが難しい、どこまで状況がイメージ出来るかなんです。ただ田中達也は出来る。達也は若い時にオフトと2年くらい一緒にやってるんですね。おそらく『小さいんだから止まってプレーしても意味がないぞ、2回3回と動きながらだぞ』って言われてたんでしょう。だからやっぱり動いて、そして動き直しもしますよ。達也が体調整えてゲームに絡んできたら相当いいプレーすると思いますよ」
えのきど「若い選手で言うと…武蔵は?」
柳下「武蔵、うーん。去年言って少し出来たんです。U20 でケガして3カ月休んで戻ってきたらゼロだった。全くなくなっちゃてて、また一からやり直し」
えのきど「そういうもんですか」
柳下「それでオフ明けまたゼロだった。積み重なってないんですね、残念ながら。そういうもんなんですね。考えるタイプじゃないからかな。小塚も武蔵も高知では相当落ちてたんでね。悩んでまた落ちて上がってくるんじゃないですか。これを乗り越えるとゴーンって伸びる。今、底ですね。落ちてるっていう感じです。悩んで落ちてくれるといいなと思ってるんです。ちょっと楽しみです。大体、上がってくる前はこう下がってますから」
えのきど「ワカゾーの跳躍力っていうか、よくもまぁってびっくりするくらいのときがありますね。びょーんって変わりますね」
柳下「大体、3ヵ月6カ月でまず変化はあるんですよね。それでも変わらないっていうのは1年で。1年変わらなかったらなかなか…厳しい。稀だったのは加賀(健一・現FC東京)。彼は1年間変わらなかったんですよ。2年目の途中から変わったんです。もともとスピードと強さががあったからかな」
えのきど「それは自分のものにしていく速度の違いなんですか?」
柳下「そうかもしれないし、もしかしたら、欲があんまりないからかな。秋田県人だからかな。でもこれだけのものを持ってるんだからって、ちょうどヒデ(元磐田・鈴木秀人)とかいたから自分で感じたときがあったんじゃないんですかね」
えのきど「今の選手でそういう吸収力、キャッチする感受性があるなっていうのは?」
柳下「亜土夢は変わったんですよね。変わろうとしてるのは三門」
えのきど「変わろうとしてる?」
柳下「三門は少しずつ顔を出そうとしてる。ボールを受けても横とか後ろに逃げるパスが多かったけれど、そこも変わってきている。良くなってくればまた彼の良さが出ると思います」
えのきど「三門選手のことだけじゃないけれど、その怖がらない、勇気ってことを話されてますね」
柳下「ミスを怖れるなって。ボールは一個しかないんだから、それを欲しがらないっていうのはサッカーというスポーツにならないってよく言いました。ミスは構わないから、とにかくボールを受ける動きをしてくれって」
えのきど「なるほどね」
柳下「今シーズン入ってきた選手では、クナン、水輝は僕が言ってることをすごく忠実にやろうとしています。守備に関しては、今までと違う感じのことをおそらく言わてると思いますが、それを一生懸命忠実にやろうとしてる。これから続けていってくれたらもっと良くなると思いますね。基本的には真面目な選手が多いですからね、言われたことに取り組もうとしてくれます」
えのきど「ここまでは順調ですか? 手応えは?」
柳下「あります、ここまでは順調です」
えのきど「ボランチが多いと思うんですけれど」
柳下「でも2つのポジションを4人ですからね。FWが一番多いんです。2つを5人ですから、そっちの方が多いですよ」
えのきど「それは、やっぱりチーム内の競争をしていいところを出していきたいということですか」
柳下「それはそうですね。こちら側はツライですけれど」
えのきど「自分の定位置を持ってる、ポジションを確保してるっていう選手もいましたが、そこも競争をさせたいと考えてますか?」
柳下「チームを作っていく上ではね、ある程度、中心となる選手は変えずにおきたいんですね。今年も何人かは固定していくとは思っています。が、ただサボったり悪かったりすることがあったら変えます。ポンっと変えます。それぐらいに選手の層は厚くなってきていますので」
えのきど「ポジションごとに数名の選手がイメージできる感じですから、バックアップはある程度は厚くなってきたなっていうことですね」
柳下「昨年と比べても、選手層は上の方、高いレベルになっていると思います」
えのきど「あとはやってみないとわからない部分も多い…」
柳下「それはありますね。これはどこのチームもそうだと思います。自分で選手の質もチーム力も上がってきたと思ってても、間違いなく他のチームも同じように上がってるわけですからね」
えのきど「監督さんって商売は不安なもんですか? 手応えはあっても不安なもんですか?」
柳下「全く不安がないってことはないですよ。シーズン、試合が始まってみないと次にどうしたらいいかってことは見えてこないし、どうなるかわからないし、それはありますよ。始まる前が一番不安ですね」
えのきど「ここまでの話でも、柳下さんがやりたいサッカーのスタイルも出来つつあって、複数の選手を様々なポジションに配することが出来てもいるし、手応えはあるとわかるんですが、それでも不安なものですか、始まるまでは」
柳下「始まってしまえば、違うんですけれどね」
えのきど「それはアレですよね、信越本線が越後石山、亀田、荻川すぎて、さつき野へ向かうあたりまではパラボラアンテナつけてる家が多くて、そこから徐々に…」
広報「そろそろ、お時間なんですが…(笑)」
えのきど「あ、そうですか。えっと…、今シーズンもがんばってください」
柳下「ありがとうございました。失礼します」
「インタビュー後記」
柳下監督とは初対面です。緊張しました。だけど、意外なほどスムーズに話に入っていけた。これは同世代ってことかなぁと思いました。ま、同世代どころか同い歳らしいんですけどね。インタビューのなかで「ワールドユース」の話が出てくるでしょ。これは僕らの世代、日本サッカーが体験した大冒険の記憶です。
ワールドユース東京大会。初めて我が国が主催した大規模な世界大会ですね。当然、日本サッカー協会は強化に本腰を入れて、松本育夫監督のもと、当時の俊英たちが地獄の特訓合宿みたいなことをやる。これが本当に「地球10周くらい走らされた」らしいんだなぁ。それだけやったのに大会では歯が立たなかった。
けれど、へなちょこ軟派学生だった僕にはまぶしいことですね。同世代のすんごい奴らが「世界」にぶち当たった。ボーイ ミーツ ワールドですよ。その体験はその後の彼らにサッカー人としての芯を作った気がします。めっちゃ個性的ですよ、どの顔を見ても。
僕は柳下正明というサッカー人を信頼しています。インタビューのなかで「血の通った経験」として語られていることは、千金の重みがありますね。ヤンツーさんは一日にして成らずです。アルビレックス新潟はいい監督を持ったと思います。