【コラム】えのきどいちろうのアルビレックス散歩道 第185回
2013/8/29
「夏の終わり」
J1第21節、鹿島×新潟。
好ゲームだった。素晴しい試合をして敗れたという意味では、今年の開幕戦を想起させる。0対0で進行して、最後にやられる形もそっくり同じ。ここ何年、得意にしていたカシマスタジアムのアウェー戦を失い、ファン、サポーターもがっかりだと思うけど、何しろ試合自体は新潟のものだ。フィニッシュの部分だけ鹿島にツキがあった。少なくとも前節の甲府戦と比べて何十倍も面白い試合じゃなかったか。ぜんぜん下を向く必要がない。
イエロー2枚で退場になった川口尚紀も下を向く必要がない。単にまだまだこれからの選手だということしか意味しない。試合後の会見で柳下正明監督が語ったように、この日はチャレンジした結果、ああなっただけだ。この前途有望な高卒ルーキーは壁に当たっている。ていうか、ずっと当たってるのを僕ら見てきた。起用されてそのうち「試合の体力」がないことが露呈した。それから(特に疲れたときは顕著だが)チンチンにされた。経験がないのだ。この日も相手の身体の向きで判断できないから一歩遅れて、決定的なピンチを招く。
で、それがどうしたって話だ。川口は成長へと向かう唯一の道「怖がらずにチャレンジを続ける」を意思的に選び取った。選び取った姿がイエロー2枚だと思うから、川口には続けてもらいたい。柳下さんも明言したし、僕もその通りだと思う。それより1人足りなくなってからも堂々やり合って、これ勝っちゃうんじゃないかと思わせたチームを讃えたい。逆に言えば勝たせてやりたかったなぁ。
で、話は以上(←おいおい)。この先は余談なのでそのつもりでつき合っていただきたい。僕だって生身の人間だから、悔しい負け試合についてあれこれ書いてると精神衛生上よくない。あんなもんは引きずってもしょうがない。だって内容はホントに良かったんだから。次につながる自信を得られた試合なんだから。大事なのは次に決まってるじゃん。
で、読者には「トニーニョ・セレーゾ監督やばい」という僕の持ちネタを聞いてもらいたいのだ。持ちネタのわりに原稿に書くのは初めてだ。いつもはライターの知り合いに飲み会で披露してきた。読者よ、こんな僕でもスカパーや『週刊サッカーマガジン』の仕事で、多くの監督さんに接し、取材活動をしてきた。本職のサッカーライターではないが、真面目に頑張ってきたつもりだ。外国人監督にインタビュー中、えらい剣幕で怒られたこともある。有名な監督さんをコラムでネタにして後日、めっちゃにらまれたこともある。まぁ、顔を合わせられない仕事はして来なかったつもりだ。特別苦手な監督さんもいない。ただひとり、トニーニョ・セレーゾ監督を除いて。
トニーニョ・セレーゾは伝説的な人物だ。80年代のブラジル代表の中盤といえばジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの「黄金のカルテット」が語り草である。セリエAでも活躍し、ASローマではUEFAチャンピオンズカップ準優勝、2度コパ・イタリア優勝、サンプドリアではクラブ初のリーグ優勝を成し遂げている。指導者としては当時2部のヴィトーリアを率い、ブラジル州選手権優勝を達成して、日本に乗り込んでくる。2000年から鹿島アントラーズ第1次政権がスタートし、6シーズンで実に5冠を獲得している。
僕が「トニーニョ・セレーゾ監督やばい」の決定的印象を持つに至ったのは、確か03年の夏場だったと思う。カシマスタジアムでJリーグを見るのは初めて(日韓W杯でアルゼンチン×ナイジェリア戦は見ていた)だった。勝手がわからずJR線を乗り継いで出かけたのだ。車窓のパノラマが素晴しく、佐原や潮来といった水郷の町を散策したくなった。あと香取の駅で乗り継ぎがうまくいかず、ぼんやり電車を待ったっけなぁ。
カードはどうだったんだろう。鹿島×G大阪とかそんな感じか。柳沢敦が決定的なシーンでシュートを譲って、記者席が皆、のけぞったのを覚えている。終了後、監督会見室へ行く。カシマスタジアムはさすがW杯会場になっただけあって、建物内の設備も充実している。先にアウェーの監督が質疑応答を済ませ、次にホームのトニーニョ・セレーゾ監督だ。セレーゾ監督は活力に満ちたキャラクターで、会見を楽しんでる風情だった。
それがすごく長い会見なのだった。後に色んなライターに教わったところでは「トニーニョ・セレーゾ監督=話長い」は基本中の基本らしい。まず自分で試合の印象を色んなエピソードをまじえたりして、たっぷり聞かせた後、質疑応答は対話や議論を楽しむ感じになる。当時、まだ僕はサッカー取材をあんまりこなしてなかった頃で、出かける度に新鮮な発見があった。
でね、ひと通り話を終えたトニーニョ・セレーゾ監督が言ったんだよ。
「いつもこちらから質問を受けるばかりじゃ面白くないですね。たまにはどうでしょう、こちらから指名するという趣向は。そうですね、そこのキャップかぶった記者の方、あなた質問はないですか?」
考えられますか? 長い会見だなぁとぼんやりしてたら鹿島アントラーズの監督さんから指名された。「黄金のカルテット」からムチャ振りされた。そんなバカな。だって会見長くなって、記者の皆さん焦れてるんですよ。僕は帰りの電車の時刻を気にしていた。臨時のカシマサッカースタジアム駅はすぐ店じまいしちゃいそうだ。
「どうですか、キャップの記者さん?」
会見場の記者、ライターがにやにや振り返る。もちろんえのきどいちろうは堂々と言った。こう見えても記者歴は長いし、ラジオパーソナリティの仕事もしている。
「何もないです」
いや、トニーニョ・セレーゾ監督やばいのだ。今季は8年ぶりにアントラーズ監督に復帰された。もう、僕は一種、ヘビににらまれたカエルですよ。またキャップの記者さんに指名があったらどうしよう。ちなみに03年の逆指名時、僕は臨時駅の終電を逃がしている。『週刊サッカーマガジン』の鹿島担当・税所真紀子さんも入稿作業に追われて助けにならず、結局、評論家の西部謙司さんのクルマに乗っけてもらって首都圏まで帰り着いた。
読者よ、2013シーズン、えのきどいちろうがめっちゃビビリながらカシマスタジアムの会見室へ行ったと思ってほしい。まず柳下監督だ。会見内容は実に納得のいくものだった。で、柳下さんの質疑応答が終わると、新潟メディアの記者さんがいっせいにぶら下がり(もしくは選手コメント取材)に出て行く。と、ものすごい状態が現出した。広い会見室に記者が2人。そのうち1人がキャップかぶったえのきどである。しまった。今日は日本代表のザッケローニ監督が来ているのだ。全国紙の記者はそっちにぶら下がっているんだ。
鹿島の広報さんがさすがにあせった表情で、知り合いの記者に「会見出てくださいよ~。お願いします~」と頼んでいる。キモを冷やした。その人を入れてもまだ3人(うち1人がキャップえのきど)だ。僕は鹿島広報さんの視線を避けながらそーっと会見室を出る。で、外へ出た途端、猛烈にダッシュする。逃げた。俺はトニーニョ・セレーゾ監督から逃げた。10年前の記憶からも、3人程度の会見からもダッシュで逃げたのだ。
附記1、いやいやいや~、本当に逃げましたね~。ちょっと自分の小物っぷりに笑った。
2、10年前、指されたときのことを西部謙司さんは「学校の先生みたいだった」と笑ってました。たぶん超機嫌がよかった上に、本質的に話好きなんだと思います。あんまりそんなことして会見を引き延ばす監督さんはいませんね。さすが真の大物です。
3、次節、ホーム川崎戦は去年、ジンクスが破られるまで不敗を誇ったカードですよね。圧倒的に相性がいいのは間違いないです。甲府、鹿島とちょっと勝ちから遠ざかってますから、ホームで勝ちましょう。もちろん僕も参戦予定です。
えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。
アルビレックス新潟からのお知らせコラム「えのきどいちろうのアルビレックス散歩道」は、アルビレックス新潟公式サイト『モバイルアルビレックス』で、先行展開をさせていただいております。更新は公式携帯サイトで毎週木曜日に掲載した内容を、翌週木曜日に公式PCサイトで掲載するスケジュールとなります。えのきどさんがサポーターと同じ目線で見て、感じた等身大のコラムは、試合の感動が覚める前に、ぜひ公式携帯サイトでご覧ください!
J1第21節、鹿島×新潟。
好ゲームだった。素晴しい試合をして敗れたという意味では、今年の開幕戦を想起させる。0対0で進行して、最後にやられる形もそっくり同じ。ここ何年、得意にしていたカシマスタジアムのアウェー戦を失い、ファン、サポーターもがっかりだと思うけど、何しろ試合自体は新潟のものだ。フィニッシュの部分だけ鹿島にツキがあった。少なくとも前節の甲府戦と比べて何十倍も面白い試合じゃなかったか。ぜんぜん下を向く必要がない。
イエロー2枚で退場になった川口尚紀も下を向く必要がない。単にまだまだこれからの選手だということしか意味しない。試合後の会見で柳下正明監督が語ったように、この日はチャレンジした結果、ああなっただけだ。この前途有望な高卒ルーキーは壁に当たっている。ていうか、ずっと当たってるのを僕ら見てきた。起用されてそのうち「試合の体力」がないことが露呈した。それから(特に疲れたときは顕著だが)チンチンにされた。経験がないのだ。この日も相手の身体の向きで判断できないから一歩遅れて、決定的なピンチを招く。
で、それがどうしたって話だ。川口は成長へと向かう唯一の道「怖がらずにチャレンジを続ける」を意思的に選び取った。選び取った姿がイエロー2枚だと思うから、川口には続けてもらいたい。柳下さんも明言したし、僕もその通りだと思う。それより1人足りなくなってからも堂々やり合って、これ勝っちゃうんじゃないかと思わせたチームを讃えたい。逆に言えば勝たせてやりたかったなぁ。
で、話は以上(←おいおい)。この先は余談なのでそのつもりでつき合っていただきたい。僕だって生身の人間だから、悔しい負け試合についてあれこれ書いてると精神衛生上よくない。あんなもんは引きずってもしょうがない。だって内容はホントに良かったんだから。次につながる自信を得られた試合なんだから。大事なのは次に決まってるじゃん。
で、読者には「トニーニョ・セレーゾ監督やばい」という僕の持ちネタを聞いてもらいたいのだ。持ちネタのわりに原稿に書くのは初めてだ。いつもはライターの知り合いに飲み会で披露してきた。読者よ、こんな僕でもスカパーや『週刊サッカーマガジン』の仕事で、多くの監督さんに接し、取材活動をしてきた。本職のサッカーライターではないが、真面目に頑張ってきたつもりだ。外国人監督にインタビュー中、えらい剣幕で怒られたこともある。有名な監督さんをコラムでネタにして後日、めっちゃにらまれたこともある。まぁ、顔を合わせられない仕事はして来なかったつもりだ。特別苦手な監督さんもいない。ただひとり、トニーニョ・セレーゾ監督を除いて。
トニーニョ・セレーゾは伝説的な人物だ。80年代のブラジル代表の中盤といえばジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの「黄金のカルテット」が語り草である。セリエAでも活躍し、ASローマではUEFAチャンピオンズカップ準優勝、2度コパ・イタリア優勝、サンプドリアではクラブ初のリーグ優勝を成し遂げている。指導者としては当時2部のヴィトーリアを率い、ブラジル州選手権優勝を達成して、日本に乗り込んでくる。2000年から鹿島アントラーズ第1次政権がスタートし、6シーズンで実に5冠を獲得している。
僕が「トニーニョ・セレーゾ監督やばい」の決定的印象を持つに至ったのは、確か03年の夏場だったと思う。カシマスタジアムでJリーグを見るのは初めて(日韓W杯でアルゼンチン×ナイジェリア戦は見ていた)だった。勝手がわからずJR線を乗り継いで出かけたのだ。車窓のパノラマが素晴しく、佐原や潮来といった水郷の町を散策したくなった。あと香取の駅で乗り継ぎがうまくいかず、ぼんやり電車を待ったっけなぁ。
カードはどうだったんだろう。鹿島×G大阪とかそんな感じか。柳沢敦が決定的なシーンでシュートを譲って、記者席が皆、のけぞったのを覚えている。終了後、監督会見室へ行く。カシマスタジアムはさすがW杯会場になっただけあって、建物内の設備も充実している。先にアウェーの監督が質疑応答を済ませ、次にホームのトニーニョ・セレーゾ監督だ。セレーゾ監督は活力に満ちたキャラクターで、会見を楽しんでる風情だった。
それがすごく長い会見なのだった。後に色んなライターに教わったところでは「トニーニョ・セレーゾ監督=話長い」は基本中の基本らしい。まず自分で試合の印象を色んなエピソードをまじえたりして、たっぷり聞かせた後、質疑応答は対話や議論を楽しむ感じになる。当時、まだ僕はサッカー取材をあんまりこなしてなかった頃で、出かける度に新鮮な発見があった。
でね、ひと通り話を終えたトニーニョ・セレーゾ監督が言ったんだよ。
「いつもこちらから質問を受けるばかりじゃ面白くないですね。たまにはどうでしょう、こちらから指名するという趣向は。そうですね、そこのキャップかぶった記者の方、あなた質問はないですか?」
考えられますか? 長い会見だなぁとぼんやりしてたら鹿島アントラーズの監督さんから指名された。「黄金のカルテット」からムチャ振りされた。そんなバカな。だって会見長くなって、記者の皆さん焦れてるんですよ。僕は帰りの電車の時刻を気にしていた。臨時のカシマサッカースタジアム駅はすぐ店じまいしちゃいそうだ。
「どうですか、キャップの記者さん?」
会見場の記者、ライターがにやにや振り返る。もちろんえのきどいちろうは堂々と言った。こう見えても記者歴は長いし、ラジオパーソナリティの仕事もしている。
「何もないです」
いや、トニーニョ・セレーゾ監督やばいのだ。今季は8年ぶりにアントラーズ監督に復帰された。もう、僕は一種、ヘビににらまれたカエルですよ。またキャップの記者さんに指名があったらどうしよう。ちなみに03年の逆指名時、僕は臨時駅の終電を逃がしている。『週刊サッカーマガジン』の鹿島担当・税所真紀子さんも入稿作業に追われて助けにならず、結局、評論家の西部謙司さんのクルマに乗っけてもらって首都圏まで帰り着いた。
読者よ、2013シーズン、えのきどいちろうがめっちゃビビリながらカシマスタジアムの会見室へ行ったと思ってほしい。まず柳下監督だ。会見内容は実に納得のいくものだった。で、柳下さんの質疑応答が終わると、新潟メディアの記者さんがいっせいにぶら下がり(もしくは選手コメント取材)に出て行く。と、ものすごい状態が現出した。広い会見室に記者が2人。そのうち1人がキャップかぶったえのきどである。しまった。今日は日本代表のザッケローニ監督が来ているのだ。全国紙の記者はそっちにぶら下がっているんだ。
鹿島の広報さんがさすがにあせった表情で、知り合いの記者に「会見出てくださいよ~。お願いします~」と頼んでいる。キモを冷やした。その人を入れてもまだ3人(うち1人がキャップえのきど)だ。僕は鹿島広報さんの視線を避けながらそーっと会見室を出る。で、外へ出た途端、猛烈にダッシュする。逃げた。俺はトニーニョ・セレーゾ監督から逃げた。10年前の記憶からも、3人程度の会見からもダッシュで逃げたのだ。
附記1、いやいやいや~、本当に逃げましたね~。ちょっと自分の小物っぷりに笑った。
2、10年前、指されたときのことを西部謙司さんは「学校の先生みたいだった」と笑ってました。たぶん超機嫌がよかった上に、本質的に話好きなんだと思います。あんまりそんなことして会見を引き延ばす監督さんはいませんね。さすが真の大物です。
3、次節、ホーム川崎戦は去年、ジンクスが破られるまで不敗を誇ったカードですよね。圧倒的に相性がいいのは間違いないです。甲府、鹿島とちょっと勝ちから遠ざかってますから、ホームで勝ちましょう。もちろん僕も参戦予定です。
えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。
アルビレックス新潟からのお知らせコラム「えのきどいちろうのアルビレックス散歩道」は、アルビレックス新潟公式サイト『モバイルアルビレックス』で、先行展開をさせていただいております。更新は公式携帯サイトで毎週木曜日に掲載した内容を、翌週木曜日に公式PCサイトで掲載するスケジュールとなります。えのきどさんがサポーターと同じ目線で見て、感じた等身大のコラムは、試合の感動が覚める前に、ぜひ公式携帯サイトでご覧ください!
