本間勲選手 インタビュー
2014/8/12
いつもアルビレックス新潟に温かいご声援をいただきまして、誠にありがとうございます。アルビレックス新潟は本日、習志野高校から加入以来15年の長きに渡ってクラブの一員として、J2~J1の戦いに貢献した本間勲選手の栃木SCへの期限付き移籍を発表しました。
本間選手は本日、選手・スタッフへの挨拶を済ませた後、クラブハウスを出発しました。明日には栃木SCのトレーニングに合流するため、長く応援いただいたサポーターの皆様に直接感謝の思いを伝えることができないことを気にかけていました。
そこで、報道関係者の皆様への取材対応後に、今回の移籍を決断した経緯や新潟への想いなどについてインタビューを行いました。ここにご紹介させていただきます。

――2000年にプロになって以来、新潟一筋でしたが、今回、期限付きで栃木に移籍することになりました。
「栃木からお話をいただいたのは、おとといのことです。今シーズン、なかなか試合に出られていない状況で、こういう話をいただけたことは、うれしかったです。
もちろんずっと新潟でお世話になってきて、簡単な決断ではありませんでした。ただ、自分はあとどのくらいサッカーができるんだろうと考えたとき、思い切ってチャレンジしよう、と。
ピッチの外から試合を見る時間が長くなるにつれて、もっとピッチに立ちたいという気持ちが強くなっていったし、まだまだサッカーをやりたい、やれる自信もある――そういう中でお話をいただいたので、この決断に至りました。まだまだ学べることもあるはずだし、自分の成長にもつながるはずですから」
――数週間前、いや数日前ですら、今の状況は想像もしなかったところがありますか。
「本当に時間がない中で決断しなければなりませんでした。今の自分の状況だけではなく、現在のチームの成績や調子といったことを考えれば、選手の人数もそれほど多くなく、みんなが頑張っている中で、僕の意志を受け入れていただいたわけです。そこは本当にチームに感謝しています。
僕自身、新潟からこういう離れ方をするとは、まったく想像していませんでした。自分はここで引退するんだろうな、そうできればいいな、という思いがあった。
それを短い時間の中でどうすべきか考え、心の中のすべてが整理できたわけではないけれど、こういう決断を下したわけです。決断した以上、気持ちも整理できたかなと思っていましたが、今日、こうしてクラブハウスに来て、みんなの顔を見て、『ああ、自分はここを本当に離れてしまうんだ』と思うと、こみ上げてくるものがあります」
――決断に至るまで、どのような自問自答がありましたか。
「そこはシンプルでした。移籍するかどうか、二つに一つだったので。ずっとお世話になってきた新潟と、J1を目指すために力を貸してほしいと声を掛けていただいた栃木と、どちらに対しても思いがある中で、どうすればピッチに立っている自分を見てもらえるだろうか、と考えたんです。
もちろん栃木に行って試合に出る保証はないですし、新潟でチャレンジし続けることをあきらめたわけでもないです。ただ、現在の自分を冷静に考えた上で、どうすれば自分がプレーする姿を今以上に見てもらえるのか。それは栃木のサポーターだけじゃなく、新潟のサポーターにもです。そうしたことを考えたり、栃木が本当に自分を必要としてくれている熱意も伝わってきて、新たなチャレンジする気持ちになりました」
――移籍するかしないか、二つに一つとはいえ、本当に難しい決断だったと思います。
「選手として、サッカーをしたいというところですね、一番の理由は。もちろん試合に出ていなくても、チームのためにできることはいろいろあります。でも一人の選手として何が一番大事か。それを考えたとき、サッカー選手である以上、プレーすることだと思いました」
――栃木でポジションをつかみ、試合に出ることが、新潟でやってきたことが間違いではないことの証明にもなりますからね。たくさんある新潟の思い出の中で、J1昇格やJ1残留よりも、J2時代に練習場を転々としながら、時にはゴールもない公園でサッカーをやっていたことが思い浮かぶ、というのは本間選手にしか言えないことです。
「今はこうして立派なクラブハウスがあって、素晴らしいスタジアムもあって、サッカーをする最高の環境がある。それが当たり前のチームに新潟もなりました。
それだけチームが成長したわけですけど、僕が入ったころはクラブハウスもちゃんとした練習場もない環境で。ちょっと話を聞いた限りでは栃木も少し似ているところがあるみたいなんです。で、そういえば自分も公園でサッカーをやってたなあ、と。だから今回、初心に戻るというか、一からのスタートという気持ちが自分の中にあるんです」
――栃木からオファーを受けて、新潟がJ1に昇格する時、若かった自分が経験ある選手からたくさんのことを教わったと思い出されたそうですね。
「勝負に対するこだわりですね。絶対にJ1に上がるんだという強い気持ちが、本当にすごかった。
当時、20歳そこそこだった自分も、もちろんJ1でサッカーをしたい、昇格したいという気持ちを持っていましたけど、新潟にやって来てくれたJ1を経験した選手たちの気持ちは、全然比べものになりませんでした。
本当にみんな熱い思いを持って普段からサッカーをしていたし、それを間近で感じながら自分もプレーしていました。それだけ強い気持ちがないと、絶対にJ1には上がれないだろうし。今度は自分が、栃木でそういうものを出して行けばいいのかな、と思っています。
J1で実績がある選手たちにとって、あの当時の新潟に移籍してくること自体、本当に大きな決断だったと思うんです。その上で、『このチームで絶対にJ1に上がるんだ!』という熱い思い。それは本当に印象深いです」
――今度は本間選手の経験が必要とされる番ですね。
「昔の新潟にちょっと似てるな、っていう栃木で、また一からスタートして、チームが大きくなるのを手助けしたい。その中で自分も多くのことを学びながら、選手としてだけじゃなく、人間としても成長したい。その思いで、これからもサッカーに取り組んでいきたいです。
今のままでいいや、というのであれば、オファーを断ることもできたと思います。でも、サッカーがうまくなりたい、まだまだやりたいという気持ちが自分の中にすごくあった。それがこの決断になりました」
――栃木には新潟OBの中野洋司選手、山形辰徳選手もいますね。
「連絡したら、『マジっすか、とりあえずメシ、行きましょう』と誘われました」
――本間選手が来てくれるのが心強い、と。
「いっさい、そういうのはなかったですけどね(苦笑)。知っている選手がいることは、僕自身、心強いです。知らないことばかりなので、いろいろ教えてもらいながら、ベテランと呼ばれる年齢になった彼らと力を合わせて、チームがいい方向に進んでいけるように頑張りたいです」
――その代わり、新潟の選手には、あいさつする時間もほとんどなかったのでは。
「おとといの夜、達也の家族と食事をしたんですが、その時点で移籍を決断していたので、相談するというわけではなかったし、それを受けて達也には頑張ってきてくださいと言われました。達也も浦和でずっと長くプレーしてきて、あれだけ実績がある選手が新潟に来て、毎日必死にサッカーをやっているわけじゃないですか。それは僕も見習わないと。達也にも頑張ってくれと言いました」
――新潟出身という意味で、田中亜土夢選手に、これからの新潟を引っ張っていってほしいという気持ちも強く持っていらっしゃるのでは。
「チームの中心として、今年から10番を背負って、自覚を持ってやってくれています。試合のプレーもそうだけど、普段の練習からしっかり声を出して。それをこのまま続けてやってくれればいいです。
キャプテンをやってもいいと思います、亜土夢が。もちろんそれは監督が決めることだし、健太郎がどうこうという話じゃないですよ。ただ、キャプテンマークを巻くだけで、それまで全く感じたことのないような責任感が沸いてくるし、それは亜土夢の成長に間違いなくつながるはず。それくらいの責任感と自覚とを持って頑張ってほしいです、亜土夢には。まあ、キャプテンは僕にできたくらいですから、誰でもできるとは思いますけど(笑)」
――新潟を離れる寂しさを言い始めると、本当にきりがないと思います。新潟のサポーターのみなさんに、これまでの感謝の気持ち、そしてこれからの思いについて聞かせてください。
「今回、本当に簡単な決断ではありませんでした。でも、決めた以上は中途半端なことはできません。これまで以上にしっかりサッカーに取り組んでいく責任が、栃木だけでなく、新潟に対してもあると思っています。それをプレーでしっかり示せるよう、栃木でも頑張ります。
これまで新潟のサポーターのみなさんには、いい時も悪い時も、いつも変わらず応援していただきました。個人としても、チームとしても。それがあったから、今日まで僕もここでプレーを続けてこられたし、チームもいろいろな困難を乗り越えてこれました。それを思うと、本当に感謝の言葉しかありません。
新潟はまだまだ強くなれるし、もっともっと強くならないといけないチームです。そして、できるだけ早いうちにタイトルを獲ってほしい。今年もまだ十分にチャンスがあります。そこに自分はいられないという寂しさはありますが、僕は僕で、自分で決めた道でしっかり結果を出したいと思っています。違うチームになりますが、これからも応援していただければうれしいです」
本間選手は本日、選手・スタッフへの挨拶を済ませた後、クラブハウスを出発しました。明日には栃木SCのトレーニングに合流するため、長く応援いただいたサポーターの皆様に直接感謝の思いを伝えることができないことを気にかけていました。
そこで、報道関係者の皆様への取材対応後に、今回の移籍を決断した経緯や新潟への想いなどについてインタビューを行いました。ここにご紹介させていただきます。

――2000年にプロになって以来、新潟一筋でしたが、今回、期限付きで栃木に移籍することになりました。
「栃木からお話をいただいたのは、おとといのことです。今シーズン、なかなか試合に出られていない状況で、こういう話をいただけたことは、うれしかったです。
もちろんずっと新潟でお世話になってきて、簡単な決断ではありませんでした。ただ、自分はあとどのくらいサッカーができるんだろうと考えたとき、思い切ってチャレンジしよう、と。
ピッチの外から試合を見る時間が長くなるにつれて、もっとピッチに立ちたいという気持ちが強くなっていったし、まだまだサッカーをやりたい、やれる自信もある――そういう中でお話をいただいたので、この決断に至りました。まだまだ学べることもあるはずだし、自分の成長にもつながるはずですから」
――数週間前、いや数日前ですら、今の状況は想像もしなかったところがありますか。
「本当に時間がない中で決断しなければなりませんでした。今の自分の状況だけではなく、現在のチームの成績や調子といったことを考えれば、選手の人数もそれほど多くなく、みんなが頑張っている中で、僕の意志を受け入れていただいたわけです。そこは本当にチームに感謝しています。
僕自身、新潟からこういう離れ方をするとは、まったく想像していませんでした。自分はここで引退するんだろうな、そうできればいいな、という思いがあった。
それを短い時間の中でどうすべきか考え、心の中のすべてが整理できたわけではないけれど、こういう決断を下したわけです。決断した以上、気持ちも整理できたかなと思っていましたが、今日、こうしてクラブハウスに来て、みんなの顔を見て、『ああ、自分はここを本当に離れてしまうんだ』と思うと、こみ上げてくるものがあります」
――決断に至るまで、どのような自問自答がありましたか。
「そこはシンプルでした。移籍するかどうか、二つに一つだったので。ずっとお世話になってきた新潟と、J1を目指すために力を貸してほしいと声を掛けていただいた栃木と、どちらに対しても思いがある中で、どうすればピッチに立っている自分を見てもらえるだろうか、と考えたんです。
もちろん栃木に行って試合に出る保証はないですし、新潟でチャレンジし続けることをあきらめたわけでもないです。ただ、現在の自分を冷静に考えた上で、どうすれば自分がプレーする姿を今以上に見てもらえるのか。それは栃木のサポーターだけじゃなく、新潟のサポーターにもです。そうしたことを考えたり、栃木が本当に自分を必要としてくれている熱意も伝わってきて、新たなチャレンジする気持ちになりました」
――移籍するかしないか、二つに一つとはいえ、本当に難しい決断だったと思います。
「選手として、サッカーをしたいというところですね、一番の理由は。もちろん試合に出ていなくても、チームのためにできることはいろいろあります。でも一人の選手として何が一番大事か。それを考えたとき、サッカー選手である以上、プレーすることだと思いました」
――栃木でポジションをつかみ、試合に出ることが、新潟でやってきたことが間違いではないことの証明にもなりますからね。たくさんある新潟の思い出の中で、J1昇格やJ1残留よりも、J2時代に練習場を転々としながら、時にはゴールもない公園でサッカーをやっていたことが思い浮かぶ、というのは本間選手にしか言えないことです。
「今はこうして立派なクラブハウスがあって、素晴らしいスタジアムもあって、サッカーをする最高の環境がある。それが当たり前のチームに新潟もなりました。
それだけチームが成長したわけですけど、僕が入ったころはクラブハウスもちゃんとした練習場もない環境で。ちょっと話を聞いた限りでは栃木も少し似ているところがあるみたいなんです。で、そういえば自分も公園でサッカーをやってたなあ、と。だから今回、初心に戻るというか、一からのスタートという気持ちが自分の中にあるんです」
――栃木からオファーを受けて、新潟がJ1に昇格する時、若かった自分が経験ある選手からたくさんのことを教わったと思い出されたそうですね。
「勝負に対するこだわりですね。絶対にJ1に上がるんだという強い気持ちが、本当にすごかった。
当時、20歳そこそこだった自分も、もちろんJ1でサッカーをしたい、昇格したいという気持ちを持っていましたけど、新潟にやって来てくれたJ1を経験した選手たちの気持ちは、全然比べものになりませんでした。
本当にみんな熱い思いを持って普段からサッカーをしていたし、それを間近で感じながら自分もプレーしていました。それだけ強い気持ちがないと、絶対にJ1には上がれないだろうし。今度は自分が、栃木でそういうものを出して行けばいいのかな、と思っています。
J1で実績がある選手たちにとって、あの当時の新潟に移籍してくること自体、本当に大きな決断だったと思うんです。その上で、『このチームで絶対にJ1に上がるんだ!』という熱い思い。それは本当に印象深いです」
――今度は本間選手の経験が必要とされる番ですね。
「昔の新潟にちょっと似てるな、っていう栃木で、また一からスタートして、チームが大きくなるのを手助けしたい。その中で自分も多くのことを学びながら、選手としてだけじゃなく、人間としても成長したい。その思いで、これからもサッカーに取り組んでいきたいです。
今のままでいいや、というのであれば、オファーを断ることもできたと思います。でも、サッカーがうまくなりたい、まだまだやりたいという気持ちが自分の中にすごくあった。それがこの決断になりました」
――栃木には新潟OBの中野洋司選手、山形辰徳選手もいますね。
「連絡したら、『マジっすか、とりあえずメシ、行きましょう』と誘われました」
――本間選手が来てくれるのが心強い、と。
「いっさい、そういうのはなかったですけどね(苦笑)。知っている選手がいることは、僕自身、心強いです。知らないことばかりなので、いろいろ教えてもらいながら、ベテランと呼ばれる年齢になった彼らと力を合わせて、チームがいい方向に進んでいけるように頑張りたいです」
――その代わり、新潟の選手には、あいさつする時間もほとんどなかったのでは。
「おとといの夜、達也の家族と食事をしたんですが、その時点で移籍を決断していたので、相談するというわけではなかったし、それを受けて達也には頑張ってきてくださいと言われました。達也も浦和でずっと長くプレーしてきて、あれだけ実績がある選手が新潟に来て、毎日必死にサッカーをやっているわけじゃないですか。それは僕も見習わないと。達也にも頑張ってくれと言いました」
――新潟出身という意味で、田中亜土夢選手に、これからの新潟を引っ張っていってほしいという気持ちも強く持っていらっしゃるのでは。
「チームの中心として、今年から10番を背負って、自覚を持ってやってくれています。試合のプレーもそうだけど、普段の練習からしっかり声を出して。それをこのまま続けてやってくれればいいです。
キャプテンをやってもいいと思います、亜土夢が。もちろんそれは監督が決めることだし、健太郎がどうこうという話じゃないですよ。ただ、キャプテンマークを巻くだけで、それまで全く感じたことのないような責任感が沸いてくるし、それは亜土夢の成長に間違いなくつながるはず。それくらいの責任感と自覚とを持って頑張ってほしいです、亜土夢には。まあ、キャプテンは僕にできたくらいですから、誰でもできるとは思いますけど(笑)」
――新潟を離れる寂しさを言い始めると、本当にきりがないと思います。新潟のサポーターのみなさんに、これまでの感謝の気持ち、そしてこれからの思いについて聞かせてください。
「今回、本当に簡単な決断ではありませんでした。でも、決めた以上は中途半端なことはできません。これまで以上にしっかりサッカーに取り組んでいく責任が、栃木だけでなく、新潟に対してもあると思っています。それをプレーでしっかり示せるよう、栃木でも頑張ります。
これまで新潟のサポーターのみなさんには、いい時も悪い時も、いつも変わらず応援していただきました。個人としても、チームとしても。それがあったから、今日まで僕もここでプレーを続けてこられたし、チームもいろいろな困難を乗り越えてこれました。それを思うと、本当に感謝の言葉しかありません。
新潟はまだまだ強くなれるし、もっともっと強くならないといけないチームです。そして、できるだけ早いうちにタイトルを獲ってほしい。今年もまだ十分にチャンスがあります。そこに自分はいられないという寂しさはありますが、僕は僕で、自分で決めた道でしっかり結果を出したいと思っています。違うチームになりますが、これからも応援していただければうれしいです」