【コラム】えのきどいちろうのアルビレックス散歩道 第38回
2009/12/3
「切所」
J1第32節、新潟×柏。
将棋の話。芹澤博文という才気のカタマリのような棋士がいた。タレント性があってTVのクイズ番組などにも引っぱりだこだった。軽妙なトークで人をそらさない。20代の頃、驚異的なスピードで出世し、天才と騒がれるが、30代以降は酒豪としてなどキャラクターをむしろ愛された。
その芹澤がおでん屋で突如、号泣したというエピソードがある。おでん屋で酩酊して、だしぬけに「あぁ、俺は、名人になれないんだな」との思いがこみ上げてきたという。どんなに頑張っても届かない。届かないことを平手打ちを食らうように思い知らされた。男泣きだ。しゃくり上げるように泣き続けた。
もうひとつ将棋の話。おそく名人位までのぼりつめた永世棋聖・米長邦雄には信仰に近いモットーがあった。自分にとっては例え消化試合でも、相手にとって重要な対局であれば全力で勝ちに行く。昇級戦や降級戦など、その一局に相手の浮沈がかかり、自分はそのいずれも絡んでいない場合がある。その一局こそ全力で獲りに行かないと、その後、勝利の女神にそっぽを向かれるというのだ。米長は「名人戦より必死にやるべき対局」と表現した。勝負師としての哲学だった。
言いたいことはおわかりだろう。柏戦は難しい一戦だった。柏レイソルはJ1残留の崖っぷちだ。すなわち恐るべき相手だ。米長流に言えば「名人戦より必死にやるべき対局」だった。サッカーに置き換えれば、現在、可能性を残すものとしては天皇杯決勝より全力で勝ちに行かねばならない試合だった。
僕は柏戦に手加減があったなんて思っていない。新潟はいつものように堅実に戦った。前半、矢野がチャンスを生かしていればすんなり勝った試合かも知れない。
が、負けたのだ。いつものように1点差負けだ。いつものようにゴールが遠かった。柏は肉弾戦と呼ぶべき、死にもの狂いの戦いを挑んできた。新潟はそれを買って出て、彼らを地獄の底へ叩き落とすしかなかった。結果として叩き落とせなかったことは痛恨事として記憶すべきだろう。新潟は生きるか死ぬかの経験が圧倒的に足りない。
同時に新潟は大目標を失った。
悲しいことだ。予感はしたが、やっぱり柏戦が一番の切所だった。
読者よ、新潟は優勝しないんだな。絶対に優勝しないんだな。どれだけ首位に離されても、どこかでかすかな夢を持っていられた時は終わったんだな。
これは勝ち点で並んで、最終節、いよいよ大一番を迎えたその結果という風な話じゃない。リアリティーという意味では、新潟が優勝なんてムシのいい話、とっくに誰も考えていなかった。次第にACL出場圏内、と目標を下方修正して、皆、ものわかりよく暮らしていた。だからずっと前に決まってたようなことが、この日ハッキリしただけだ。
3位以内がなくなった。とりあえずACL出場圏も届かない。どんなに頑張っても届かない。届かないことを平手打ちを食らうように思い知らされた。歯をぎりぎり食いしばっても「大善戦したシーズン」と総括されてしまう。
大善戦は大善戦なのだ。そんなのわかってる。大善戦と言われてるうちは「あんたら、優勝しないよ」と言われてるのと同じだ。そんな見おろした物言いは犬に食われてしまえばいい。
ビッグスワンの渋滞を抜け出して、関越道を帰京する。フランサにやられたシーンは忘れた。晩秋の日暮れはつるべ落としだ。もう夜が来る。芹澤が男泣きし、米長が非情に徹した夜が来る。ため息をついて、帰路だけつき合ってもらった友人に運転を代わってもらう。30分眠った。夜は一切を優しく包みこむ。
附記1、当日、サッカー講座に大勢お集まりいただき、ありがとうございました。何でも過去最多の150人近い盛況だったそうです。又、30人ほどの抽選落ちが出たと聞き、申し訳なく思っています。内容は今回も小山直久・アルビ取締役の大活躍でした。そろそろコンビ名を考える時期に来ていると思います。
2、今回、個人的かつ小さな心残りは、来年の新潟県民手帳を購入できなかったことです。試合後、紀伊国屋書店まで引き返す気力がなかった。J最終節・FC東京戦はTV観戦(ひかりTV、新しいチューナー届いたけど、まだつないでない)の予定だから無理しても買っておくんだった。まぁ、あきらめます。
3、大高洋夫さん(第三舞台)、新潟日報にアルビネタ書いてくれたみたいですね。
4、しかし、次節・川崎戦も米長流に言うと「名人戦より必死にやるべき対局」ですよ。天皇杯に向け勝利の女神にそっぽを向かれない為にも、賞金圏に入ってチーム強化費を大きくする為にも、そしてタナボタ式ではあるけれどわずかに残る4位・ACL出場の可能性の為にも、凹んでる場合じゃないです。
えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。
※アルビレックス新潟からのお知らせ
コラム「えのきどいちろうのアルビレックス散歩道」は、アルビレックス新潟公式サイト『モバイルアルビレックス』で、先行展開をさせていただいております。
更新は公式携帯サイトで毎週木曜日に掲載した内容を、翌週木曜日に公式PCサイトで掲載するスケジュールとなります。えのきどさんがサポーターと同じ目線で見て、感じた等身大のコラムは、試合の感動が覚める前に、ぜひ公式携帯サイトでご覧ください!
J1第32節、新潟×柏。
将棋の話。芹澤博文という才気のカタマリのような棋士がいた。タレント性があってTVのクイズ番組などにも引っぱりだこだった。軽妙なトークで人をそらさない。20代の頃、驚異的なスピードで出世し、天才と騒がれるが、30代以降は酒豪としてなどキャラクターをむしろ愛された。
その芹澤がおでん屋で突如、号泣したというエピソードがある。おでん屋で酩酊して、だしぬけに「あぁ、俺は、名人になれないんだな」との思いがこみ上げてきたという。どんなに頑張っても届かない。届かないことを平手打ちを食らうように思い知らされた。男泣きだ。しゃくり上げるように泣き続けた。
もうひとつ将棋の話。おそく名人位までのぼりつめた永世棋聖・米長邦雄には信仰に近いモットーがあった。自分にとっては例え消化試合でも、相手にとって重要な対局であれば全力で勝ちに行く。昇級戦や降級戦など、その一局に相手の浮沈がかかり、自分はそのいずれも絡んでいない場合がある。その一局こそ全力で獲りに行かないと、その後、勝利の女神にそっぽを向かれるというのだ。米長は「名人戦より必死にやるべき対局」と表現した。勝負師としての哲学だった。
言いたいことはおわかりだろう。柏戦は難しい一戦だった。柏レイソルはJ1残留の崖っぷちだ。すなわち恐るべき相手だ。米長流に言えば「名人戦より必死にやるべき対局」だった。サッカーに置き換えれば、現在、可能性を残すものとしては天皇杯決勝より全力で勝ちに行かねばならない試合だった。
僕は柏戦に手加減があったなんて思っていない。新潟はいつものように堅実に戦った。前半、矢野がチャンスを生かしていればすんなり勝った試合かも知れない。
が、負けたのだ。いつものように1点差負けだ。いつものようにゴールが遠かった。柏は肉弾戦と呼ぶべき、死にもの狂いの戦いを挑んできた。新潟はそれを買って出て、彼らを地獄の底へ叩き落とすしかなかった。結果として叩き落とせなかったことは痛恨事として記憶すべきだろう。新潟は生きるか死ぬかの経験が圧倒的に足りない。
同時に新潟は大目標を失った。
悲しいことだ。予感はしたが、やっぱり柏戦が一番の切所だった。
読者よ、新潟は優勝しないんだな。絶対に優勝しないんだな。どれだけ首位に離されても、どこかでかすかな夢を持っていられた時は終わったんだな。
これは勝ち点で並んで、最終節、いよいよ大一番を迎えたその結果という風な話じゃない。リアリティーという意味では、新潟が優勝なんてムシのいい話、とっくに誰も考えていなかった。次第にACL出場圏内、と目標を下方修正して、皆、ものわかりよく暮らしていた。だからずっと前に決まってたようなことが、この日ハッキリしただけだ。
3位以内がなくなった。とりあえずACL出場圏も届かない。どんなに頑張っても届かない。届かないことを平手打ちを食らうように思い知らされた。歯をぎりぎり食いしばっても「大善戦したシーズン」と総括されてしまう。
大善戦は大善戦なのだ。そんなのわかってる。大善戦と言われてるうちは「あんたら、優勝しないよ」と言われてるのと同じだ。そんな見おろした物言いは犬に食われてしまえばいい。
ビッグスワンの渋滞を抜け出して、関越道を帰京する。フランサにやられたシーンは忘れた。晩秋の日暮れはつるべ落としだ。もう夜が来る。芹澤が男泣きし、米長が非情に徹した夜が来る。ため息をついて、帰路だけつき合ってもらった友人に運転を代わってもらう。30分眠った。夜は一切を優しく包みこむ。
附記1、当日、サッカー講座に大勢お集まりいただき、ありがとうございました。何でも過去最多の150人近い盛況だったそうです。又、30人ほどの抽選落ちが出たと聞き、申し訳なく思っています。内容は今回も小山直久・アルビ取締役の大活躍でした。そろそろコンビ名を考える時期に来ていると思います。
2、今回、個人的かつ小さな心残りは、来年の新潟県民手帳を購入できなかったことです。試合後、紀伊国屋書店まで引き返す気力がなかった。J最終節・FC東京戦はTV観戦(ひかりTV、新しいチューナー届いたけど、まだつないでない)の予定だから無理しても買っておくんだった。まぁ、あきらめます。
3、大高洋夫さん(第三舞台)、新潟日報にアルビネタ書いてくれたみたいですね。
4、しかし、次節・川崎戦も米長流に言うと「名人戦より必死にやるべき対局」ですよ。天皇杯に向け勝利の女神にそっぽを向かれない為にも、賞金圏に入ってチーム強化費を大きくする為にも、そしてタナボタ式ではあるけれどわずかに残る4位・ACL出場の可能性の為にも、凹んでる場合じゃないです。
えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。
※アルビレックス新潟からのお知らせ
コラム「えのきどいちろうのアルビレックス散歩道」は、アルビレックス新潟公式サイト『モバイルアルビレックス』で、先行展開をさせていただいております。
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