【コラム】えのきどいちろうのアルビレックス散歩道 第57回
2010/7/1
「矢野貴章W杯出場!」
2010W杯南ア大会(グループE)、日本×カメルーン。
僕はスタメンが発表されるまで、それでも「本田1トップ」はないと思っていた。スポーツ紙に記事が出ているが、「又、飛ばしやがって〜」とタカをくくっていた。
だって岡田監督は2年半もチームを固定してきた。W杯メンバーもそのセンに沿って選ばれた。FWの選手は何の為に選考したのか。それはバクチになる。一夜漬けのぶっつけ本番でW杯に臨むのか。
笑い話があって、この2年半、代表テストマッチの度、試合後の監督会見で同じやりとりが繰り返された。
「今日のコンセプトの達成度は何パーセントですか?」
「70パーセントですね」
いや、70が80パーセントでもいいのだが、コンセプトの達成度だ。元『サッカーマガジン』編集長の伊東武彦さん(現『アエラ』誌)は「意味がわかんないですよ。いつからサッカーはそんな言葉で語られるようになってしまったのか」と言う。
本大会が近づいて、そのコンセプト自体が何だかわからなくなった。当初「接近、連続、展開」のキーワードで語られたショートパスを連ねるサッカーは見るかげもない。壮行試合の日韓戦に敗れてからは進退伺の「冗談」までメディアに語る始末だ。僕は本気で心配になって、伊勢神宮へお参りに行った。
で、岡田監督はバクチを打ったのだ。本当なら本田圭佑はトップ下くらいの位置で使い、前を向かせたい。が、阿部をアンカーに置いて守戦に徹する方針ではトップ下が作れない。本田に経験のないポスト役を任せることになった。あるいは本田は下がる傾向があるから「0トップ」というのか。
国際映像が選手入場の場面になり、震えが来た。これから皆で危ない橋を渡るのだ。最も勇気のいる試合だ。これは勝たなければならない。勝たなければチームがガタガタになるだろう。
試合は落ち着いて入れた。スペースをひたむきに埋めて、バランスを崩さないサッカー。ボールを獲ってもロングボールを蹴るだけ。とにかくカメルーンにリズムを作らせないことに専心する。何とリアリズムに徹した姿だ。このなりふり構わず、タスクを実行する様はどうだ。このチームは戦っている。岡田監督の求心力低下を心配したが、チームはひとつになっている。
20分過ぎ、動きのない試合にじれたフリーステイト(ブルームフォンテーン)の観客がウェーブを始める。これでいい。もっと騒げ。こちらは凡戦に持ち込むハラだ。カメルーンとガマン比べだ。そのカメルーンが有難いことに無策だった。最も警戒していたエトーが右サイドに張りっぱなし。
39分、本田のゴールシーンについては多くを語らない。繰り返し、映像を見ていると思うからだ。日本代表は願ってもない虎の子の1点を手に入れた。カメルーンは守備のもろさを露呈した。
問題は後半だった。さすがにエトーの位置を変えて来るだろう。攻撃もテンポアップして来るだろう。まず、後半の入り。それから締めくくりが最大のヤマだ。日本代表は松井、大久保の足がもつだろうか。
そうしたらカメルーン・ルグエン監督はエトーの位置をそのままにした。代表は前半のタスクを続行する。これは行けるかも知れない。カメルーンの選手に焦りが生じている。
69分、松井に代わって岡崎IN。いよいよここからだ、カメルーンが無理攻めにかかって来る。そして、この展開なら間違いなく矢野貴章に出番がかかる。
国際映像が日本ベンチをとらえ、監督指示を受ける貴章の姿を映し出す。ついに来た。新潟の英雄がW杯デビューを飾る。指示はチェイシングだ。終局、皆が一番苦しいところで全開のプレーを見せてくれ。
審判が交代ボードを掲げる。82分、大久保OUT→矢野貴章IN。その瞬間、新潟サポーターはめまいに似た感情に襲われた。貴章が難局へ向かって駈け込んでいく。自分のやって来たことを信じて、一個の勇気となって。
そこからの8分間、これを読んでいる人に正気でいられた人は少ないだろう。僕はテレビの前につっ立って、足をバタバタさせながら「おー」とか「あー」とか叫んでいた。
代表はタスクを完遂した。そして、岡田監督は人生最大のバクチに勝利した。日本代表が国外のW杯で勝利したのはもちろん初めてのことだ。読者よ、信じられますか。矢野貴章はその歴史的瞬間、ピッチに立っていた。
附記1、「自分の目が信じられないくらいひどい試合」(ギュンター・ネッツァー)と酷評された一戦を、もちろん世界で一番楽しんだのは日本人です。で、その日本のなかで一番楽しんだのは新潟県民だと思います。クラブからW杯代表を出すっていうのはこういうことなんですね。誰がどう文句言おうと関係ない。泣けた。文字通り、魂の揺れるような強烈な体験でした。
2、オランダ戦の夜は日本中、えらい騒ぎになってましたね。本当に勝負事は勝たないとダメです。だけど、あの戦法でカメルーンに負けてたらどうなってたんですかねぇ。例えば渋谷の駅頭で大騒ぎした人たちはどうしていたことか。
3、その後の報道によると、壮行試合の日韓戦に敗れた3日後、スイス・ザースフェー合宿で行われた「サポートメンバーも含めた選手27人の話し合い」が良かったようですね。チームがひとつにまとまるきっかけになった。僕は矢野貴章はもちろんだけど、酒井高徳にとってどれだけ貴重な体験かと思います。ぎりぎりの瀬戸際からチームが持ち直すところを直に体験したんですよ。
4、モバアル読者の皆さんは今夜未明がデンマーク戦ですね。最高っすね、ガチのデンマーク戦ですよ。
えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。
※アルビレックス新潟からのお知らせ
コラム「えのきどいちろうのアルビレックス散歩道」は、アルビレックス新潟公式サイト『モバイルアルビレックス』で、先行展開をさせていただいております。
更新は公式携帯サイトで毎週木曜日に掲載した内容を、翌週木曜日に公式PCサイトで掲載するスケジュールとなります。えのきどさんがサポーターと同じ目線で見て、感じた等身大のコラムは、試合の感動が覚める前に、ぜひ公式携帯サイトでご覧ください!
2010W杯南ア大会(グループE)、日本×カメルーン。
僕はスタメンが発表されるまで、それでも「本田1トップ」はないと思っていた。スポーツ紙に記事が出ているが、「又、飛ばしやがって〜」とタカをくくっていた。
だって岡田監督は2年半もチームを固定してきた。W杯メンバーもそのセンに沿って選ばれた。FWの選手は何の為に選考したのか。それはバクチになる。一夜漬けのぶっつけ本番でW杯に臨むのか。
笑い話があって、この2年半、代表テストマッチの度、試合後の監督会見で同じやりとりが繰り返された。
「今日のコンセプトの達成度は何パーセントですか?」
「70パーセントですね」
いや、70が80パーセントでもいいのだが、コンセプトの達成度だ。元『サッカーマガジン』編集長の伊東武彦さん(現『アエラ』誌)は「意味がわかんないですよ。いつからサッカーはそんな言葉で語られるようになってしまったのか」と言う。
本大会が近づいて、そのコンセプト自体が何だかわからなくなった。当初「接近、連続、展開」のキーワードで語られたショートパスを連ねるサッカーは見るかげもない。壮行試合の日韓戦に敗れてからは進退伺の「冗談」までメディアに語る始末だ。僕は本気で心配になって、伊勢神宮へお参りに行った。
で、岡田監督はバクチを打ったのだ。本当なら本田圭佑はトップ下くらいの位置で使い、前を向かせたい。が、阿部をアンカーに置いて守戦に徹する方針ではトップ下が作れない。本田に経験のないポスト役を任せることになった。あるいは本田は下がる傾向があるから「0トップ」というのか。
国際映像が選手入場の場面になり、震えが来た。これから皆で危ない橋を渡るのだ。最も勇気のいる試合だ。これは勝たなければならない。勝たなければチームがガタガタになるだろう。
試合は落ち着いて入れた。スペースをひたむきに埋めて、バランスを崩さないサッカー。ボールを獲ってもロングボールを蹴るだけ。とにかくカメルーンにリズムを作らせないことに専心する。何とリアリズムに徹した姿だ。このなりふり構わず、タスクを実行する様はどうだ。このチームは戦っている。岡田監督の求心力低下を心配したが、チームはひとつになっている。
20分過ぎ、動きのない試合にじれたフリーステイト(ブルームフォンテーン)の観客がウェーブを始める。これでいい。もっと騒げ。こちらは凡戦に持ち込むハラだ。カメルーンとガマン比べだ。そのカメルーンが有難いことに無策だった。最も警戒していたエトーが右サイドに張りっぱなし。
39分、本田のゴールシーンについては多くを語らない。繰り返し、映像を見ていると思うからだ。日本代表は願ってもない虎の子の1点を手に入れた。カメルーンは守備のもろさを露呈した。
問題は後半だった。さすがにエトーの位置を変えて来るだろう。攻撃もテンポアップして来るだろう。まず、後半の入り。それから締めくくりが最大のヤマだ。日本代表は松井、大久保の足がもつだろうか。
そうしたらカメルーン・ルグエン監督はエトーの位置をそのままにした。代表は前半のタスクを続行する。これは行けるかも知れない。カメルーンの選手に焦りが生じている。
69分、松井に代わって岡崎IN。いよいよここからだ、カメルーンが無理攻めにかかって来る。そして、この展開なら間違いなく矢野貴章に出番がかかる。
国際映像が日本ベンチをとらえ、監督指示を受ける貴章の姿を映し出す。ついに来た。新潟の英雄がW杯デビューを飾る。指示はチェイシングだ。終局、皆が一番苦しいところで全開のプレーを見せてくれ。
審判が交代ボードを掲げる。82分、大久保OUT→矢野貴章IN。その瞬間、新潟サポーターはめまいに似た感情に襲われた。貴章が難局へ向かって駈け込んでいく。自分のやって来たことを信じて、一個の勇気となって。
そこからの8分間、これを読んでいる人に正気でいられた人は少ないだろう。僕はテレビの前につっ立って、足をバタバタさせながら「おー」とか「あー」とか叫んでいた。
代表はタスクを完遂した。そして、岡田監督は人生最大のバクチに勝利した。日本代表が国外のW杯で勝利したのはもちろん初めてのことだ。読者よ、信じられますか。矢野貴章はその歴史的瞬間、ピッチに立っていた。
附記1、「自分の目が信じられないくらいひどい試合」(ギュンター・ネッツァー)と酷評された一戦を、もちろん世界で一番楽しんだのは日本人です。で、その日本のなかで一番楽しんだのは新潟県民だと思います。クラブからW杯代表を出すっていうのはこういうことなんですね。誰がどう文句言おうと関係ない。泣けた。文字通り、魂の揺れるような強烈な体験でした。
2、オランダ戦の夜は日本中、えらい騒ぎになってましたね。本当に勝負事は勝たないとダメです。だけど、あの戦法でカメルーンに負けてたらどうなってたんですかねぇ。例えば渋谷の駅頭で大騒ぎした人たちはどうしていたことか。
3、その後の報道によると、壮行試合の日韓戦に敗れた3日後、スイス・ザースフェー合宿で行われた「サポートメンバーも含めた選手27人の話し合い」が良かったようですね。チームがひとつにまとまるきっかけになった。僕は矢野貴章はもちろんだけど、酒井高徳にとってどれだけ貴重な体験かと思います。ぎりぎりの瀬戸際からチームが持ち直すところを直に体験したんですよ。
4、モバアル読者の皆さんは今夜未明がデンマーク戦ですね。最高っすね、ガチのデンマーク戦ですよ。
えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。
※アルビレックス新潟からのお知らせ
コラム「えのきどいちろうのアルビレックス散歩道」は、アルビレックス新潟公式サイト『モバイルアルビレックス』で、先行展開をさせていただいております。
更新は公式携帯サイトで毎週木曜日に掲載した内容を、翌週木曜日に公式PCサイトで掲載するスケジュールとなります。えのきどさんがサポーターと同じ目線で見て、感じた等身大のコラムは、試合の感動が覚める前に、ぜひ公式携帯サイトでご覧ください!