【コラム】えのきどいちろうのアルビレックス散歩道 第99回(前編)

2011/7/14
「大山のぶよシリーズ」

 J1第2節、新潟×山形。
 東日本大震災の影響で延期されていたホーム山形戦である。本来は3月12日に予定されていた「天地人ダービー」がほぼ4ヶ月遅れて開催される。震災がなく、開幕戦(アウェー福岡戦)快勝の後、行なわれていたらどんなムードだったろう。つまり本来は「ホーム開幕戦」のカードだった。

 それが第2節とはいえ実質14節めの対戦になった。ここまで両チームとも思った勝ち点を挙げられずにいる。夏場へ向けて下位どうしのサバイバル戦だ。勝った方は浮上のきっかけをつかむだけでなく、残留争いの上で勝ち点6差相当(自分は勝ち点3を獲得、相手の勝ち点3の可能性を消す。直接対決の醍醐味)のアドバンテージを得る。とんでもなく意味が重い。

 決戦だ。僕はもう中身なんてどうでもいいのではないかと思った。勝つしかない。ここで負けたら完全に赤信号だ。新潟は幸い選手が戻りだしたタイミングだ。ケガからの復帰組(ミシェウ、菊地)に加えて、この試合はオリンピック代表組(ゴートク、鈴木大輔)が戻ってきた。久々にメンバーが揃うなかで、僕の注目は田中亜土夢だ。チョ・ヨンチョル欠場枠に黒崎監督は亜土夢を指名した。結果を残すなら今しかない。チームが一番苦しいところで輝くしかない。

 もうひとつ、当コラム読者は先刻ご承知のことながら、僕は田中亜土夢を特別な思いで見続けている。裏方としてアルビを支えてくれた(有)エイヤード・小早川史子さんにまだ亜土夢はゴールを届けていない。病床のNHK中継や一時帰宅のスカパー中継で、彼女は満足に亜土夢の出場した姿さえ見られなかった。もともと小さな人だったけど病気のせいで本当にやせて小さくなってしまって、それでも「亜土夢出ないねぇ」と繰り返しつぶやいていたそうだ。

 小早川さんはU代表歴のような華やかなところではなく、控えの若手だった頃、亜土夢がボトルをかたずけたり、雑用を人一倍熱心にやっている姿に注目した。以来、得意のときも失意のときも、亜土夢が一流のプレーヤーになることを疑わなかった。弱さがあるとしたらそれはいずれ乗り越えられるものだ。小早川さんはまっすぐ長所を見た。それはたぶん亜土夢にも伝わったのだ。亜土夢は小早川さんにだけは常に心をひらいて、色んな打ち明け話をした。

 僕は人間は単純なものだと思う。自分の値打ちをわかってくれる人がいれば頑張れるのだ。もちろん亜土夢には沢山のファンがいるし、チーム内にも仲間がいる。小早川さんだけが特別だったわけじゃない。けれど僕は何か強い絆のようなものを感じていた。あえて言葉にすると一番近いニュアンスは「姉と弟」だ。裏方スタッフと選手という範疇(はんちゅう)におさまり切らない縁だ。

−後編に続く−


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