【コラム】えのきどいちろうのアルビレックス散歩道 第99回(後編)

2011/7/14
 試合。僕には全体を振り返る余裕がない。感情の針が振り切れて戻らないのだ。亜土夢がやってくれた。やってくれたんだよ。前半13分、好位置からのFK。これは狙えば入るという予感がした。ボールをセットして、蹴る直前、つい「(他人に)渡すな!」と声に出してしまう。誰かの頭に合わせるのにも好位置なんだけど、そうではなく意思をもって狙って欲しかった。それがゴール左上の隅に吸い込まれる。先制弾。新潟はこれで圧倒的にゲームを有利に運べる。

 FKのファインゴールというだけでなく、この日の亜土夢はマルシオ・リシャルデスを彷彿とさせた。試合を作る意識が見える。決定的なパスを出そうと狙っている。叉、これまでの出場機会でも見られたように要所でボールを奪いに行く。そういえば去年、当コラムで亜土夢を「小さなマルシオ」と表現したことがあった。たぶんここに本領があるのだと思う。

 山形は過去、対戦したイメージより緩いというのか、ガチガチに守りを固めて来なかった。ラインを高く保ち、コンパクトに戦うイメージか。これは結果的に助かった。引いて守られた方がずっと手を焼いた気がする。新潟はいい感覚で攻めていた。三門の運動量が素晴らしい。それから酒井高徳の推進力。早くこのチームの完成型が見たいものだ。

 前半折り返して1対0。勝ててない新潟には微妙なリードだ。皆、今夜も胃の痛むような終盤を経験するのだろうか。と思ったら後半4分、叉しても亜土夢がやってのけた。ブルーノ・ロペスのヘディングシュートがクロスバーを叩き、その跳ね返りだ。落ち着いて頭で合わせる。僕にはジャンプした亜土夢が一瞬、重力から自由になったように見えた。それは本当にジェット推進力を備えた「鉄腕アトム」みたいだったのだ。

 一番苦しいところにヒーローは出現する。思い出してほしい。子供の頃、見たアニメはいつもそうだったじゃないか。チームは呪縛から解き放たれた。それも後半早々だ。僕はもちろん(有)エイヤードの丸山英輝さんと並んで見ていた。1点めはかろうじてこらえていた。まだ何が起きるかわからないからだ。2点めは宙に浮いた。丸山さんまでジェット推進力を備えたみたいだ。後半22分、亜土夢が木暮と交代で下がったときは涙をぽろぽろこぼして、スタンディングオベーションだ。

 だから申し訳ない。僕はこの試合、小早川さんや丸山さん抜きに振り返ることができないのだ。もしかすると亜土夢はこれから短期間のうちに本物に化けるのかもしれない。帰りの新幹線、僕は丸山さんと別の車両に乗った。読みかけのジョナサン・フランゼンもいいところに来ていた。それから丸山さんにひとりで泣く時間をやりたかった。


附記1、そして「大山のぶよシリーズ」のもうひと試合、第4節・新潟×甲府を見終え、帰京したところです。何で第2節の次が第4節なのか、日程調整が後になるとわけわからんだろうなぁ。昨夜は凹みました。「大山のぶよ」は山形、甲府という下位勢に2連勝がノルマだったと思います。それが甲府に完敗。しかも決勝点は亜土夢の自陣でのバックパスをさらわれたものです。何とまぁ、亜土夢で勝って亜土夢で敗れるという振幅。悔しいのう。叉、僕は「大山のぶよ」はリアリズムだと思うので内容は問わないつもりだけど、サッカー的にも良さが出せませんでした。

2、こうなったら仕切り直して、この先の「超大山のぶよ」に挑むしかないですね。

3、僕は先日、JR米坂線の羽前小松駅下車徒歩3分、「遅筆堂文庫」を見学してきました。井上ひさしさんの蔵書20万冊のほぼすべてが手にとって眺められる素晴らしいところです。もう、付箋もついたまま、アンダーラインや書き込みもそのまま。井上ひさしさんの頭のなかというか、興味の向かうところへダイレクトにつながった気分になれる。「ほら、ここ面白いよね」「あ、マジすか!」と会話してるようなんだなぁ。それから『下駄の上の卵』なんかに描かれた井上さんの故郷はここかぁと思った。ちなみに「遅筆堂文庫」の所在する川西フレンドリープラザは、映画『スイングガールズ』のクライマックスの演奏会ロケ地でもあります。


えのきどいちろう
1959/8/13生 秋田県出身。中央大学経済学部卒。コラムニスト。
大学時代に仲間と創刊した『中大パンチ』をきっかけに商業誌デビュー。以来、語りかけられるように書き出されるその文体で莫大な数の原稿を執筆し続ける。2002年日韓ワールドカップの開催前から開催期までスカイパーフェクTV!で連日放送された「ワールドカップジャーナル」のキャスターを務め、台本なしの生放送でサッカーを語り続け、その姿を日本中のサッカーファンが見守った。
アルビレックス新潟サポータースソングCD(2004年版)に掲載されたコラム「沼垂白山」や、msnでの当時の反町監督インタビューコラムなど、まさにサポーターと一緒の立ち位置で、見て、感じて、書いた文章はサポーターに多くの共感を得た。
著書に「サッカー茶柱観測所」(週刊サッカーマガジン連載)。
HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。

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